報道が不安をあおる。地元が不安を増す。そして、それを報道する。負の連鎖が始まった。契約書や覚書の1枚でも出せば、それで収束したのかも知れない。けれども出せない理由が山崎氏にはあったのだ。
「米国との仕事は、すべてが契約に縛られていました。たとえば名刺一枚にしても、相手方の指定したデザインのものしか使用してはいけないなど、細かい点まで決められていました。その契約のなかに、守秘義務契約があったのです。具体的な米国との交渉内容は何ひとつ語ってはいけない。これがマスコミの不審を呼び、住民に不安が広がったのだろうと思います。私は明らかに信用ならざる人物として報道され、なかには多くの誤認識が含まれていました。契約を守らなくては計画が破たんしますし、契約に違反しなければ国内の意識をまとめられないというジレンマに陥ってしまっていたのです」
話しがこじれていく。住民は騙されているのではないかと本登記への切り替えを拒む。米国側との交渉は本登記がなされないとスタートできないと言われる。まさに身動きがとれない状態になってしまったのだ。ここで強いリーダーシップを誰かがとってくれたら話が違っていたかも知れない。山崎氏や住民以外の「権威がある誰か」がまとめ役を買ってくれたら一気にまとまっていたのかも。つまり行政が率先して話しをまとめてくれていたら、違った結果になっていたのかも知れないのだ。
けれども、町はすでに手を引く決意を固めていた。インフラ整備にかかる地元負担が約30億円。それを嫌がってのことだろうと思われる。首を縦に振れば30億の投資をしなくてはならなくなる。それを恐れて町は手を引き「整備を進めるためには、まず県と話をしてもらわなくては」という態度になったのだ。山崎氏は言われたとおりに県に話を持っていった。県側の答えはこうだ。
「それは久山町の理解があってのことです。久山町が納得しないことは県としても容認できかねます。まずは久山町と話を通してください。そこから始めてもらわないと県は何もできません」
まさに譲り合いの精神である。言葉を換えれば責任のなすり合いである。こっちに行けと言われて行ってみたら、あっちに行けと戻される。これでは話が進むはずもない。リーダーシップを期待するなど望むべくもなくなった。たしか、この話は久山町が持ちかけてきたはずなのに、である。
【柳 茂嘉】