<市議選に出馬してください!>
昵懇(じっこん)にして頂いている市民の方から、突然のメールが来た。内容は「筑紫野市議会議員選挙に出馬してください」というものだった。
「市議選は終わったばかりなのに?」と、首をかしげたが、 ほどなくしてマスコミからの電話取材があり、事情がつかめた。
ある筑紫野市議が任期1日で議員辞職した。有権者を飲食接待(供応)した容疑で、警察から任意取り調べを受け、その後、辞職願を出し、議会で承認されたという。「そのT前市議がどんな人物だったか」という取材だった。市民からのメールは「議席が空いたから選挙になる。浜武さんに再度、市政に戻って欲しい」との内容で、激励の意を込めたものだった。
公職選挙法により、今回の場合は、選挙後3カ月以内なので、次点の候補が繰上げ当選となる(なお、欠員が定数の6分の1になるまでは首長選挙がない限り、補欠選挙は行なわれない)。首長失職の場合は、繰上げはなく(同票により、くじによって決着した場合を除く)選挙になるので、その方は勘違いされてメールを送られたのかもしれない。
次点で繰り上がったのは武光誠さん。初挑戦での初当選となる武光市議はまだ30代と若い。部落解放同盟筑紫地協からの支持があり、とかく指摘されている筑紫野市の人権(同和)行政の旧弊を越え、新しい「人権運動」に取り組んでくれることに大いに期待したい。言論は自由だが、先入観や風評で人物を判断するのは市政の損失である。
<手ぶらが許されなかったあいさつ回り>
1町4村が合併した当時の筑紫野市の人口は7万人くらいだったか。転居してくる新住民と市政施行以前からの旧住民が半々くらいになった1995年(平成7年)、私は筑紫野市議会議員選挙に出馬した。
「あの地域なら、○○さんが票を持っている。あいさつに行ったか? 手ぶらでは行けないよ。分かっているよね?」
「あそこの陣営は、お手伝いに行ったご婦人たちへのお礼は洋服の仕立てだって、だから上位で当選した」
「事務所から帰ろうとすると、菓子折り入りの袋が手渡される」
「(候補者の親族が)手伝ってくれたご婦人に商品券を手渡すよね。いくら入っとると?」
「昼御飯がおにぎりに味噌汁。本当にあいつはバカにしとる」
そういう話が、嫌でも耳に入った。その一方で、「あの浜武という若造に何が出きる。あいさつがない」とも聞こえてきた。私は「この人は飛ばして、次の人に話をする」というのが嫌いだ。飛ばされた人の気持ちを想う。 必然として、あいさつ回りは遅くなる。
地域のお世話方へのあいさつには行くが、門前で声はしても、名を名乗ると「不在」と答えられる。取り次いではもらえない日が続いた。
【浜武 しんいち】
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<プロフィール>
浜武 しんいち (はまたけ しんいち)
1965年10月23日、東京都大田区生まれ。74年、筑紫野市へ転居。84年、東福岡高校卒し、フリーデザイナーとなる。95年、久留米大学法学部を卒業後、政治家を志す。97年、筑紫野市議 落選(次点・626票)。99年、新党さきがけ福岡県支部筑紫野連絡所所長就任。2001年、筑紫野市議 初当選(1,200票)。03年、民主党福岡5区総支部常任幹事および同組織委員長に就任。05年、筑紫野市議 2選(1,581票)。07年2月、民主党福岡県連より除籍。同年4月、衆院福岡2区補選 落選(2,857票)。09年、筑紫野市議 3選(1,328票)。11年1月、筑紫野市長選挙に出馬、3,765票で落選する。
なお、政治活動のほか、理数専門塾(株式会社 FCS数学教室)の主宰、番組制作会社の主幹も務めている。
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