原子力発電の普及は、日本を始めとする西側諸国を舞台に繰り広げられたアメリカの冷戦戦略であった。このことは『原発・正力・CIA』(新潮新書)の著者である有馬哲夫氏が明らかにした事実である。読売新聞社主の正力松太郎と中曽根康弘・衆議院議員が、アメリカに擦り寄って戦後復興に必要な核エネルギーをアメリカの協力も得て日本に導入した。その人脈は中曽根元秘書である与謝野馨・経済財政担当大臣に引き継がれている。無論、日本でも東北大学を中心に戦前、仁科芳雄(にしなよしお)などの学者たちが日本独自の核兵器開発を行なっていたが、戦後の日本の核政策は、アメリカに依存する形で行なわれたのである。
その象徴となるのが、今回、福島第一原発で事故を起こした「1号炉」であったと言って良い。この原子炉はGE(ゼネラル・エレクトリック)社の設計・製造の「マーク・ワン」と言われる炉である。このマーク・ワンは、1970年代になってGEで働いていた技師たち3人(GEスリー)が、その構造に根本的な欠陥があるとして、職を辞して告発を行なった「いわくつき」の炉であった。
ところが、日本はそのGEの原子炉を崇拝し、崇め奉ったのである。傍証がある。ジャーナリストの田原総一朗氏がだいぶ昔に書いた、『ドキュメント・東京電力企画室』(文春文庫・1986年)という本には、アメリカから原発を導入した当時の東京電力の社員・技師たちについて、「電力会社にしてみれば、東電の場合にはゼネラル・エレクトリック社、関電のウエスティングハウス社の技術に対する信仰に近いまでの信頼が、それこそ『三越からラジオを買う』ような気易さを生んだ」(同書)と書いている。
また、東電の元原子力部門幹部の豊田正敏氏は、震災後の週刊誌のインタビューで、「福島第一の場合、完成したものをGEから引き継ぐやり方でしたから建設中に詳しいチェックはしていませんでした。その当時設計図をチェックする能力などなかったんです」と語ってもいる。つまり、東京電力は、ブラックボックスと言っても過言ではないGE製の原子炉をまるで崇め奉った。にもかかわらず、あるいは、はたして、というべきかはわからないが、アメリカへの信頼からか、「原子力安全神話」だけが独り歩きしたのだ。
さらに東京電力や、ある時期までは日本の核武装を密かに目指していたと言われる「電気事業連合会」(電事連)といった財界のロビー団体が新聞社やテレビ局を巨額の広告発注で「骨抜き」にしたことによりそれは助長された。果ては原子力に関わる者たちまでもが原子力エネルギーというものが本楽は核兵器開発の副産物であるという事実を忘れてしまった。恐るべき「平和ボケ」といえるだろう。
<プロフィール>
中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。
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