そこで思い浮かぶのは、映画「続・猿の惑星」のワンシーンである。この映画の白眉では、猿の惑星に不時着した主人公が猿たちに捕らえられるが脱出し、地下で核戦争によってミュータントと化し、コバルト爆弾を神とあがめる人間たちの姿を発見するという奇怪なシーンがある。この猿の惑星シリーズの作者は戦時中に日本軍の捕虜となった経験を持つ。だから、映画関係者の間ではこの猿の惑星の「猿」というのは、欧米人から見た日本人たちのことであることはよく知られている。
この映画ではさすがに猿ではなく地下に住むミュータント人間たちが核兵器であるコバルト爆弾を崇めるという設定になっているが、これはストレートに解釈すれば、「被爆した後でも核を崇拝するおろかな人類」を比喩的に描いている。果たせるかな、戦後の日本人は原子力エネルギーをまるで「猿の惑星」で祀られるコバルト爆弾のように崇め奉ってきた。戦後の暮らしはアメリカの庇護と、その国が日本に与えた原子力エネルギー(軽水炉)によって築かれたことは否定しようもない"現実"である。「原子力の父」である正力松太郎と、その読売系列の日本テレビ、そしてCIAによる政界支配が戦後日本の真実の姿である。そして戦後日本こそアメリカから見れば「猿の惑星」にほかならなかったのである。
その頭が賢いと思い込んでいる「猿たち」が、原子力安全信仰にどっぷりつかって、原子力輸出を新しい国策として推進しようとしたときに、今回の大震災が起きた。ここで価値観の大転倒が起きた。全国で起きる反原発デモ、放射能に怯えながら関西以西に避難したエリート層。年間許容放射線量をめぐって、1ミリシーベルトが安全なのか20ミリシーベルトが安全なのかを不安げに議論する主婦たち。この人たちの多くは地震が起きるまで原子力発電が抱える問題について、広瀬隆氏や小出裕章氏のような昔からの反原発の気鋭の活動家たちのようには考えていなかったはずだ。かくいう筆者も実はその一人である。
さらに、ここでは詳しくは避けるが、震災1カ月目に当たる4月11日になって突如、今回の原発事故の規模が当初のレベル5からレベル7、つまりチェルノブイリ並みに引き上げられたことが混乱に拍車をかけた。私はこの急激なレベルの引き上げの背景には日本社会全体にショックを与えるという狙いを持ったIAEA(国際原子力機関)のある種の「社会心理実験」があると考えている。
わざとメディアを使って「チェルノブイリ並」という言葉を独り歩きさせることで日本社会全体を実験場にしてどのようなパニックが起きるかをまるで実験室のねずみを観察するように、IAEAのサイエンティストたちは狙っていたのではないか。これは私の推測でしかないが、なぜレベル6ではなくレベル7にする必要があったのかということの政治的背景を考えていくとそう結論せざるを得ない。チェルノブイリの放射線量の10分の1と放出量を算定したからなのだろうが、その根拠はほんとうにあるのか。
いずれにせよ、IAEAは、原子炉から漏れ出る大量の放射線が人体に与える影響も含めて、彼らは日本で調査することで今まで持っていなかった詳細なデータを得るのである。これが将来、世界中で起きるであろう原発事故の際の基礎データになる。
これによっていわば「原発アノミー」とも言うべき事態が亢進(こうしん)していった。これが大震災から約2カ月間の日本各地の光景、マスコミ報道だったのではないだろうか。
私には、3月16日の午後に急遽放映された天皇陛下の国民に向けてのメッセージが、広島・長崎の原爆を受けて出された、昭和天皇の終戦時の玉音放送に重なってならない。あの玉音放送によって、大東亜戦争は集結、日本人はアメかの占領統治という「敗北」を抱きしめる戦後を歩み始めた。今回の震災の被災地を心を傷められながら、行幸された天皇陛下、美智子皇后陛下の姿は、戦後まもなくの行幸にぴったりと重なる。歴史家なかには今回の被災地訪問と行幸は違うと「したり顔」で書いている人もいるが、大きな間違いである。
<プロフィール>
中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。
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