九州国立博物館 館長 三輪 嘉六 氏
日本からアジアへ飛び出してビジネスしようとする場合、よく「相手の歴史・文化の違いを把握しておく必要がある」と言われる。商習慣の違いなどにつながるからだが、では日本人は本当に自国の歴史・文化をきちんと踏まえたうえで海外進出を考えているのだろうか。観光についても同様のことが言える。こうした問いに答えるヒントを得るべく、九州国立博物館館長の三輪嘉六氏に、長く歴史・文化の分野に携わってきた立場から話を聞いた。
―それにしても、貴館は毎年多くの方に来場していただいていると思います。
三輪 大勢の方に来ていただくというのはうれしいことです。けれど、本当は苦しいことでもあります。阿修羅展は71万人、この前のゴッホ展は35万人くらい訪れました。ただ、たくさん人が来るとゆっくり見られないというデメリットがあります。しかし一方で、求められるのは右肩上がりの数字です。そうした矛盾を今の博物館は抱えています。
また、たくさんの人が来れば、その分リスクが生じます。それを解消する努力を博物館がどうやるか。具体的に言えば、当館の場合は博物館科学、いわゆる保存科学分野を組織的に持ち、リスク処理に当たっています。ただ単に大勢の人に来ていただくだけでは、館内の温度や湿度が一気に上がり、文化財の破壊にもつながるわけですから。一方では、リスクを管理する体制や組織を持っておかなければなりません。それと両立して、初めて真の観光が成り立つのだと思います。
―リスク管理については、企業のマネジメントと同じですね。
三輪 逆に、これまでの博物館ではその部分に踏み込んだ議論をしてこなかったから、もう一歩先に進めなかったと思います。観光によって生ずる障害はほかにもたくさんあります。しかし、これまで多くの博物館はそうしたことへの対応をきちんとしていませんでした。
ただ、そうした裏の部分が市民に見えてこないのも事実です。「なぜ源氏物語を365日見せないのか」という声もあるかと思います。そうではなくて、1年で30日間だけで我慢してくださいという決まりがあるのです。日本の脆弱な文化財ではそうしたものがたくさんあります。保存や活用をしっかりカバーする体制をこれからの博物館がどう持つのか、それが「文化観光」につながると思います。
少し話はそれますが、実は当館ができた当初は混雑に対するクレームが多かったのです。しかし、この前のゴッホ展は40日間だったので1日平均9,000人くらいが入った計算ですが、クレームが少なかった。つまり、それだけ見る人のしっかりとした文化力がついてきたのだと理解しています。そういう意味でこの5年間を評価していいのかなと思います。
たとえば、絵を見ていただくとき、なるべく前に結界などの障害物が無い状態で見ていただこうと思い、白線を床に引いたかたちにしました。あの混雑のなかで、白線の内側は床がきれいでした。逆に外側は天気が悪かったこともあって汚れていました。白線を境にくっきりしており、行儀良く観ていただいたことで大変感動しました。そうした文化力がついてくると、市民の方々にも外からお客さまを受け入れる意識が芽生え、それが観光につながってくることに期待しています。
<プロフィール>
三輪 嘉六(みわ かろく)
1938年岐阜県生まれ。奈良国立文化財研究所研究員、文化庁主任文化財調査官、東京国立文化財研究所修復技術部長、文化庁美術工芸課長、同文化財鑑査官、日本大学教授などを経て、2005年から現職。専門は考古学、文化財学。現在、文化財保存修復学会会長、NPO法人文化財保存支援機構理事長、NPO法人文化財夢工房理事長、「読売あをによし賞」運営・選考委員など。主な著書に、「日本の美術 348家形はにわ」(至文堂、1995年)、「美術工芸品をまもる修理と保存科学」(『文化財を探る科学の眼5』国土社、2000年)、編著に「日本馬具大観」(吉川弘文館、1992年)、「文化財学の構想」(勉誠出版、2003年)など多数。
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