久山町の誘致計画は、こうして幕を下ろした。これがよかったのかどうかは、はっきり言って分からない。あるいはチャンスを逃したのかも知れないし、あるいは事故を回避したのかも知れない。ただ、現実としてあるのは、これまでと同じ久山町のままだということだ。総勢200名近くの地権者たちと話し合いを続け、仮登記まで済ませ、実現まであと一歩のところまで至った。その一歩が詰められなかった。信頼とは目に見えないものだが、目に見えるどんなものよりも大きな壁となったのだ。2007年末のことだった。
翌08年、山崎氏は新たな計画を立ち上げた。誘致場所を宗像市に変えて、プロジェクトを練り直したのだ。アイランドシティに始まり、久山で迷走、頓挫。そして宗像での新計画。メディアの取り上げ方は批判するでもなく、後押しするわけでもなく、淡々としたものだった。
「また始まったか」
これがメディアをはじめ、多くの関係者、市民が感じたことだろうと思われる。これも仕方がないことなのかも知れない。これだけ壮大な計画を進めた経験がないのだから、何にどれだけの時間がかかるのかが誰にも想像できないのだ。自分の知っている範囲の了見で長い、短いを判ずるのは実にもっともなことである。したがって「また始まった」と受け止められても、それは当たり前のことなのだ。けれども、それは傍観者の視点である。当事者である山崎氏は、そうは感じていない。「また始まる」のではなく、「何ひとつ始まっていない」のだ。山崎氏のゴールはパラマウント映画のテーマパークとUCLAエクステンションを福岡に持ってくること。それが福岡市だろうが久山だろうが宗像だろうが、問題の本質ではないのだ。本質は「誘致すること」。その1点以外にない。宗像の案も後に白紙に戻されることになるが、計画自体は何ら変わっていない。
山崎氏は自分に正義があると信じている。自分がやっていることは向こう数十年、福岡にとって必ず役に立つと信じているのだ。だからこそ、自分の利害はそっちのけに、人から詐欺師ではないかと言われても留まることがなく進んでいく。これが正しいことか否かは結果と歴史に委ねるほかない。けれども、今も計画は終りを告げたわけではない。このことだけは今、分かっている事実なのである。
【柳 茂嘉】