<エリアと事業規模の縮小へ>
1997年4月期には、売上高127億7,871万円、経常利益6億1,730万円、当期利益は3億2,206万円を確保するなど、佐賀県の有数の建設業者となった(株)岸本組だが、バブル崩壊の影響などから市場が悪化、徐々に事業規模が収縮していく。翌98年4月期には売上高は103億193万円、99年には100億円を割る86億8,210万円となっていく。この頃は3~4億円の当期利益を確保しており、減収しても高い利益面は確立されていたようだ。
しかし、近年3期分の数字を見てみると、2008年4月期で売上高28億5,052万円、営業損益段階で赤字に転落して▲1億7,027万円。09年4月期も売上高31億8,904万円、営業損益段階で▲1億3,589万円と2期連続して赤字を露呈。100億円を越えていた同社の過去の威光はすでにない。ただ、過去に蓄えた内部留保は厚く、未だに無借金経営はなされている。
規模縮小と平行して事業拠点も撤退を行ない、各拠点に構えていたほとんど営業の出先も撤退し、現在では本社と佐賀市支店と玄海町支店のみとなる。ただ玄海町の営業拠点だけは08年12月に玄海町営業所を支店に昇格させるなど、玄海町にはさらなる営業強化を図るものとみられる。
裏を返せば、玄海町からの原子力事業の恩恵の比率をもっと高めるためとも考えられる。09年7月には建設業許可も大臣許可から佐賀県知事許可に変更しており、今後も公共工事、とくに原発マネーの恩恵を受けようとの算段なのか。民間からの大口受注は九州電力とその関係会社から。なおさら原発関連事業の岸本組というイメージは強まった。
3月11日以降の福島第一原発事故で原発に対する風当たりが増加した。そのため玄海原子力発電2、3号機の運転再開が論争を呼んでいる。玄海町の岸本英雄町長はメディアで度々目にするようになり、それに伴い同社に関してNET-IBへの問い合せが多くなってきた。
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