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高塚 猛氏寄稿「日本は誇りの持てない国ではない」(前)
連載コラム
2011年6月28日 07:00

高塚 猛 氏 日本人は辻褄が合わないという言葉を忘れてしまったような気がする。
 得をすることは同じ位の価値を失うことである。そうでなければ辻褄が合わない。
 これまで日本が飛躍的に発展してきたのはあることを失ってもそれを補って余りある嬉しさを受け取ることが出来たからである。

 その代表的な例が物欲である。戦後の日本は8,000万人の日本人が食うことさえままならない状態だった。そんななかで衣食住を満たしていくためには効率的で効果的なことが優先されなければならなかった。効率的な事は一人ひとりの思いを少しずつ犠牲にすることだ。でもほとんどの人はそれを我慢してきた。我慢の代償が成長である。

 結果日本は豊かになった。経済大国を目指してきた日本は戦前の水準に追いつけ追い越せ、欧米の水準に追いつけ追い越せというかつての目標を見事に達成して経済大国になった。
 目標とはそれが達成された時点で次の目標達成のための手段となる漸進的な仕組みのなかに存在しなければならない。日本がこれから目指さなければならないのは個人個人が豊かさを実感できる生活大国である。
 かつての日本より経済的に豊かになった日本人はどちらかと言うと今まで我慢してきた個人の欲望を満たしたいと考えるようになった。豊かさの基準や考え方が人それぞれで違うのだ。したがって経済大国を目指してきた時の最高の手段である効率的ということが効果を出すための最良の手段とならなくなってしまっている。だから生活大国として日本が明確な目標となる国はどこにも存在していない。それにも拘らず無責任な評論家や学識経験者と言われている人たちは、日本の上げ足を取るかのようにどこそこの国ではこんなに素晴らしいことが出来ているから日本も見習うべきだと局部的な指摘をして悦に入っている。

豊かになった日本 欧米の先進国と比較して違いがあれば「それは日本が改善しなくてはならないことで、すべて先進国の方が正しい」と考えていた時代はとっくに終わっているのだ。日本にも外国人が羨ましがるような素晴らしい面がたくさんある。トータルで見ないで問題点だけを大げさに唱えるから実現性の乏しい辻褄が合わない話になっている。そのことを受け入れるためには、それと引き換えにその国で失っていて日本にある素晴らしいことを捨てなければならなくなる恐れがあることを分かっていない。いいこと尽くめの改革は魔法でも使わない限り出来ないのである。

 これまでの日本は明確な目標があってそこにベクトルを合わせたうえでそれを達成させる意欲、言い換えれば勤勉さが求められてきた。いわば日本人の勤勉さがエネルギーとなって目標達成へと向かわせていたのである。これに自立心と協調性が加わっていた。これから日本に必要なことは海外諸国のいいところ取りをした模倣ではなく、自らの意志で自分たちそして日本の未来をデザインするエネルギーすなわち目標設定能力である。

 そのことを託せるのは強靭な精神を持った企業のリーダーたちである。そのリーダーには自ら掲げる目標を明示してその結果失うことも同時に開示する勇気が必要だ。その考えに賛同してこの指とまれ方式で個々の企業や個人が集まり、それぞれの目標に向かってたくましく進んでいくことが日本を再生する大きな力となる。

(つづく)

【高塚 猛】


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