<5市合併から約半世紀~人口の減少が続く北九州市>
1963年(昭和38年)2月10日、門司・小倉・戸畑・八幡・若松の5市は合併し、北九州市が誕生。東京・大阪・名古屋・京都・横浜・神戸に続く7番目の百万都市となった。合併した年の4月1日、6番目(東京都を除く)の政令指定都市となり、旧5市名は5区名になる。74年(昭和49年)、小倉区が小倉北区と小倉南区に、八幡区が八幡東区と八幡西区に分割され7区に改編されている。
2011年3月31日現在の北九州市の人口は、97万5,360人(男性46万1,185人、女性51万4,175人)。ピーク時で100万人を超えていた人口は年々減少し、旧5市合併前の1960年の98万6,778人から1万人以上減少している。
ちなみに福岡市は72年4月1日に政令指定都市となり、2011年6月1日時点の推計人口は、147万5,328人。京都市の147万3,967人を抜き、政令市で全国6位となっている。政令市に指定される前月の89万4,095人から58万人増加しており、工業都市と商業都市で大きく明暗を分けている。
新日鉄八幡製鐵所は戸畑の新鋭一貫製鉄所が完成すると、生産拠点を八幡から戸畑に。さらに合理化を進め、八幡製鐵所は、主力工場である君津製鉄所に対する要員・技術・管理システムのバックアップ工場となり、同様に住友金属小倉も和歌山製鉄所をバックアップする工場となった。かつての主力工場としての役割はない。生産規模の縮小により北九州における雇用吸収力は大幅に低下し、それと共に広大な遊休地を抱えることになった。
【北山 譲】
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