<北九州銀行の誕生までの経緯<14>~山口銀行の北九州への進出(2)>
一方、山口銀行は2000年5月に北九州本部を立ち上げて、九州地区全域を統括することになった。それまでは北九州支店長は、地区管理母店長として北九州地区内支店および大分支店を統括。福岡支店長は福岡市内支店、久留米支店、長崎支店、熊本支店を統括。その傘下の支店が、「北九州銀行」の支店となる。
北九州本部長にそれまで北九州支店長を兼務していた桑原豪常務が就任。融資の審査役も配置するなど人員を大幅に増強し、本格的に北九州市への営業強化に乗り出した。
北九州支店長には大阪支店長であった浜崎裕治氏が就任。新規専担当者9名はそのまま北九州支店に籍を置いて、北九州市内・苅田町、直方などの隣接する地域はもちろん大分まで新規取引先の開拓を積極的に推進する体制を整えた。
一方、福岡銀行、西日本銀行、福岡相互銀行(当時)も対抗するために人員を増強し、反撃態勢を取り、四つ巴の金融競争が展開されることとなった。
それまでは山口銀行には各支店ごとに、異業種交流組織の「はってんクラブ」があった。北九州支店は、はってんクラブの名称ではなく「山友会」の名で組織されており、その会長には大迫忍ゼンリン社長(当時)が就任していた。
北九州本部立ち上げを契機に、浜崎北九州支店長が中心となり、北九州市内支店合同の異業種交流組織「マグネット北九州」を立ち上げ、その年の秋に創立総会をリーガロイヤル小倉で開催。会長にはシャボン玉石けんの森田光徳社長(当時)が就任。来賓および会員約500名が参加し、盛大な発会式であったという。(関係者談)
ちなみに、マグネットは「Multiple business interchange for Advance and Growth
の頭文字と「Network」が由来で、「前進と成長のため異業種交流組織としてMAGNET(磁石)のように銀行と取引先がお互いに協力する」との意が込められているとのこと。
01年の北九州支店開設50周年の式典に来賓としてあいさつした末吉興一北九州市長(当時)は、「北九州に本店を構える銀行がない。『北山銀行』でも『山北銀行』でもいいので、ぜひ立ち上げてほしい」と述べたことが話題となった。
【北山 譲】
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