東日本大震災が発生した3月11日から、まもなく5カ月が経とうとしている。被災地では、瓦礫の撤去や被災者の仮設住宅への移住が進む一方、地域間における支援の格差、被災者の精神ケアなど、新たな課題が表出してきた。宮城県で被災者の支援活動を行なう民間の任意団体・宮城復興支援センター(宮城県仙台市宮城野区)の茂木秀樹所長は2日、高島宗一郎福岡市長を訪ね、支援が行き届いていない被災者への支援活動を行なう同団体への支援を要請。福岡市では、よその自治体の民間団体へ支援が行なえるかどうか、そのスキームを検討しているという。
実は、宮城復興支援センターへ、すでに福岡からボランティアの協力が行なわれている。国際協力NGOフリーピース(福岡市博多区、森田卓也代表理事)は、同センターの宿泊機能を持つ支部へスタッフを派遣。施設の立ち上げに協力した。
同支部は、被災地・宮城県南三陸町のとなりの同県登米市にあり、閉園されていた保育所の建物を登米市が無償で提供。名付けて「宮城復興支援センター登米支部」である。同NGOの森田代表とともに同支部に向かったのが現在、新設されたフリーピース宮城出張所の所長を務める本山貴春氏(29)だ。6月19日から7月16日までの28日間、被災者支援活動を行なってきた本山氏は、現地の様子を伝えるために一時、福岡へ戻った。その際、筆者は本山氏を取材した。
多数の被災者を抱える被災地では、行政や大きなボランティア組織による支援活動は、どうしても『一律平等』にならざるを得ない。『差』が生じることで被災者間のトラブルに発展するからである。たとえば、支援物資の食品で全員分に足りない場合は、あえて配らず、時には腐らせて捨ててしまうこともある。先行き不透明な避難生活が続くなか、精神状態が不安定にならざるをえない被災者への配慮か―。実際に本山氏も、避難所における感情的対立が表面化している雰囲気を体験した。
支援の手が比較的行き届いていない小規模の避難所を対象に支援活動を行なっている宮城復興支援センター登米支部は、言わば「遊撃隊」だ。被災者と何度も接すれば、そのうち悩みを打ち明けられる機会も増え、避難所内の人間関係を嫌でも知るようになる。また、知っておかなければ、支援活動そのものがトラブルの火種になることもある。「受け付けにいる人は信用できない。物資を運ぶときは受付でなく裏口から」というアドバイス(?)を受けた。物資を届けるのが遅れたことで罵倒されたこともあった。
しかしながら、本山氏をはじめ登米支部のボランティアは、被災者のおかれている状況を考慮すれば、それは「仕方のないこと」と受け止めている。むしろ、「われわれにあたることで少しでもストレスが緩和されれば...」という。
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