<山紫水明の地>
福岡県糟屋郡久山町。
福岡市東区から、直方市方面に向かう県道を行くと、東区のはずれの、多々良、八田といったやや雑然とした住宅街を抜けていく。しばらく運転していくとだんだん田んぼが開けてくる。これがあっという間だ。雑然とした雰囲気がなくなり、急に郊外に抜けた気分になる。なんだか空気まで澄んだように感じる。
それは、県道が久山町に入ったからである。
福岡市の中心部からわずか5キロというエリアながら、鉄道の便がなく、福岡市のベッドタウンとしての発展からも取り残されていた人口約9,000人の小さな町である。その久山町に入ると田園風景が広がる。久山町は37平方キロメートルの広さがあり、福岡市に近いエリアは一面の田んぼ、それより奥にいくと小さな丘陵がいくつかあり、そこにはゴルフ場や温泉施設がまとまって存在している。これも我が国の郊外には珍しく整然と開発されている。大都市圏の郊外にありがちな農地内に虫食い状で点在する住宅のミニ開発の姿がなく、伝統的ないくつかの集落がそのまま維持されている。
久山町の最深部は山林となっており、犬鳴峠を挟んで宮若市に隣接している。山間部から、猪野川と久原川というふたつの清流が流れ下っており、ここでは初夏になると蛍を見ることができる。まさに久山は山紫水明の地であるといっていい。
なぜ、この町は、福岡市に隣接する他市町村のような宅地開発を拒んだのか―。
ここ久山町の主要な道路は、2本の県道のみである。福岡市東区から直方方面へと東西に抜ける県道と、新宮から久山を経由して大野城に至る南北の県道である。これらは申し分なく整備されている。そして、この新宮・大野城線の沿道に、町内唯一の大型商業施設として存在しているのが、ショッピングセンター「トリアス」である。
なぜ、開発を拒み、良好な自然環境を保ってきた久山に、国内有数規模のショッピングセンターがオープンするに至ったのか、という自然な疑問が浮かぶ。
<トリアス久山オープン>
この久山町に「トリアス久山」というショッピングセンターが開業したのは1999年4月である。
規模は、当時としては国内有数の敷地面積7万6,000坪。出店テナント数149店舗、初年度売上目標400億円というスケールは脚光を浴びた。それだけではない、90年代前半の日米構造協議の結果、外資系小売業への積極的な門戸開放が実現し、その成果の結実としてアメリカより、大型ウェアハウスストアの「コストコ」が、日本初出店の地としてこのトリアス久山を選んだのである。このことでトリアス久山は全国より注目を集め、開業から2年程度は取材や視察が引きもきらなかった。
トリアス久山オープンの功労者として一躍脚光を浴びたのが、平山敞(ひらやまたかし)であった。
当時、最大手のスーパーであったダイエーの取締役、そしてその九州地区子会社であるユニードの社長まで務めた流通業界の有力者であった。その平山が、ユニードのダイエー本体への統合を機に退職し、その後、福岡で郊外型ショッピングセンターを仕掛けたのである。平山は、見事トリアス久山の開業にこぎつけ、業界内での評価をさらに高めることになった。事実、その後、平山は経営再建中のニコニコ堂の社長として招聘され、さらに古巣のダイエーに副社長として返り咲き、同社の経営再建を任されるのである。
平山がここまで上り詰めたのは、ダイエー時代は、創業者の中内の後継者といわれたほどの実力、そして明るさとバイタリティ、人心掌握術といろいろあろうが、何よりも掲げる夢の大きさに負うところが多かった。まず自分が大きな夢を持ち、それを大きな声で周囲に語り、周囲を夢に陶酔させていくようなところがあった。
ダイエーという既存組織を飛び出しての、トリアス久山の開業は、まさに平山の夢の実現であったに相違ない。
しかし、トリアス久山の開業は、平山一人の努力によってなされたものではない。
平山は、ユニードの再建などダイエーの仕事で、たしかに福岡での勤務は長かった。
しかし、ダイエーは所詮中央の大企業であり、きめ細かく地域に密着した仕事などできない。たとえば、ユニードの社長まで務めたとはいえサラリーマンである平山がどのようにしてトリアスをオープンする資金を確保したのか。よそ者である平山が、かくも簡単に久山町の広大な用地を確保できたのはなぜか。
そして、2000年くらいを境に、雨後のタケノコのようにほうぼうにショッピングセンターができ始めた。
結果からいえば、久山町のトリアスはその先鞭をつけたようなものである。それにはどのような必然性があったのか。
このように大きな夢が結実したのにはいろいろな背景がある。この物語では、このような背景をひとつひとつ振り返っていきたい。
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<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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