かつて産炭地として隆盛を極めた都市・飯塚市。しかし、時代の流れによるエネルギー転換のなかで、産業・経済構造の変化の波に晒されてきた。現在、同市は産炭地のイメージからの脱却を図り、IT特区構想や企業誘致策、中心市街地活性化策など、さまざまな再建策を模索中である。かつての産炭地の「火」は、再燃できるのか―。飯塚市長の齊藤守史(さいとう・もりちか)氏に、フリーアナウンサーの中村もとき氏が話を聞いた。
<「産・学・官・金」連携>
中村もとき氏(以下、中村) 齊藤市長にお話をうかがいたいと思います。飯塚市は現在、穂波町、筑穂町、庄内町、頴田町と合併して大きくなっています。これはもう、福岡県内では、福岡市、北九州市、久留米市に次いで4番目の都市になるわけです。さぁ、そこで僕は期待するわけですよ。この現在の飯塚市に対して、どのようにお感じになっていらっしゃいますか。
齊藤守史市長(以下、齊藤) 私は、市長になる前は民間企業の社長をしておりました。そういう経営的な面から考えたとき、やはり発展しないようなまちの首長にはなりたくありません。「このまちは将来、こういう絵が描ける」「こういう可能性がある」というところでないと、自分もそこで仕事をやろうとは思いません。
じゃあ、「このまちをどうする」と考えたときに、ここ飯塚にはまず大学生が約4,500人もいます。
中村 たしかに、ここはもう「学生のまち」になっていますからね。
齊藤 そうです、学生のまちです。そして同時に「ITのまち」でもあります。現在、飯塚市には50社くらいのベンチャー企業がありますが、市がインキュベーター施設を準備して、家賃の安い施設にそういったベンチャーを興す方々が入れるような、「日本一創業のしやすいまち」にしています。
たとえば、よく「産・学・官連携」という言い方がありますが、私どものところではこれに金融機関の「金」を加えて、「産・学・官・金」という言い方をしています。これは、ベンチャーを興そうとした場合、もちろんそれなりのお金が要るのですが、学生さんはあまりお金を持っていません。それを、日本政策金融公庫と提携して融資を受けやすいかたちにしています。「学生さんが創業しやすいように、市でバックアップしましょう」というものです。
今の例は学生ベンチャーについてですが、ここ飯塚市はJR博多駅まで電車で約40分で行ける距離にあります。それでいて、土地の値段はたとえば糸島や宗像と比べても安価です。それを考えたときに、人がここに来ないわけがないのです。工夫すれば、外から人が来てここに住んでくれるような絵が描けるわけです。ですが、その人を来させるためには、何が必要か。まず教育、地域環境、それから地域のコミュニティ、高齢者が住みよいまち―そういうまちをつくっていけばいいのです。
そうすると、たとえばこの飯塚市の中心市街地区域だけでも、約50の医療機関があります。病床で言えば、飯塚市内だけで約2,900床ほどあるのです。こういった飯塚市の潜在力を洗い出していけば、将来に向けてさまざまな絵が描けるのです。
【文・構成:坂田 憲治】
齊藤 守史(さいとう もりちか)
1948年10月生まれ。日本大学商学部経営学科卒。1971年7月一番食品(株)入社。76年9月同社専務取締役、96年4月同社取締役副社長、98年4月同社代表取締役社長を経て、10年4月同社代表取締役会長に就任。06年4月、新市発足にともなって行なわれた飯塚市長選挙に出馬し初当選を果たし、現在2期目を務める。信条は「我以外皆我師也」。
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