かつて産炭地として隆盛を極めた都市・飯塚市。しかし、時代の流れによるエネルギー転換のなかで、産業・経済構造の変化の波に晒されてきた。現在、同市は産炭地のイメージからの脱却を図り、IT特区構想や企業誘致策、中心市街地活性化策など、さまざまな再建策を模索中である。かつての産炭地の「火」は、再燃できるのか―。飯塚市長の齊藤守史(さいとう・もりちか)氏に、フリーアナウンサーの中村もとき氏が話を聞いた。
<工業団地の今後>
中村 それと、もう1つおうかがいしておきたいのは、鯰田につくられた工業団地ですね。これは現在、どのような状態ですか。
齊藤 今は厳しい時代ですので、なかなかそう簡単にはうまくいっていないのが現状ですね。ただ、あまりこういう言い方をしてはいけないのかもしれませんが、今度の大震災の影響で全国的に工場の分散化などが進んでいくと見ています。そのため、こちらの方に来る企業が増えるのではないかと期待をしていますし、そちらの方面に営業をかけています。
また、工業団地ができる前はちょうど福岡県が「北部九州自動車150万台生産拠点推進構想」を打ち上げていましたから、自動車産業の企業誘致がメインのような表現がされていました。しかし、私としては雇用が生まれればいいと思っていますので、何も自動車産業に限ることはないと考え、その方向でも動いています。
中村 ただ、素人考えで申し訳ないですが、このあたり―とくに鯰田は炭鉱地域だったので、地面の下が穴だらけなんじゃないか、という心配もしています。
齊藤 それは大丈夫です。九州大学の地質工学の先生からも太鼓判を押されていますし、何よりあそこはもともとボタ山があった場所です。ボタ山と言ったら文字通り「山」なわけですから、何万トンという代物です。もし地盤沈下を起こすのであれば、工業団地ができる前に沈んでいますよ。
<シュガータウン構想>
中村 飯塚がこれから目指していく目標は、「文化都市」ですか、それとも「工業都市」ですか。
齊藤 いや、やはり商業ですね。飯塚は、昔、長崎街道が通って出島から江戸の方まで続いていたお砂糖の道―「シュガーロード」のなかで宿場町として栄えた、「商都飯塚」でしたから。そして、炭鉱地であったこともあって、「千鳥饅頭」や「ひよこ饅頭」、さかえ屋の「すくのかめ」など、有名なお菓子がたくさんあります。
ですから、私としてはこの地域を、1つのお菓子の町にしたいと思っています。それは、お菓子をつくっている企業の方が、「千鳥饅頭」であろうと「ひよこ饅頭」であろうと「すくのかめ」であろうと一緒になって、この町を「シュガータウン」にしていこうという動きです。
中村 そういえば、全国的に有名な福岡のお菓子メーカーは、全部ここ産炭地の発祥ですからね。
齊藤 少しずつシュガータウンの流れのなかで、筑豊の3社はだいたいまとまりそうになってきています。そこにさらにいろいろな企業が進出して、そのエリアのなかにお菓子屋さん―小さな、それこそ昔ながらのお菓子さんでもいいので、そういうのが集まるエリアが飯塚にできればいいと思っています。
中村 それは面白いですね。福岡県の地図を描いたときに、西の方は筑後平野で酒どころ、そして東の方が「シュガータウン」で「お菓子の町」って言ったら、絶対に面白いですよこれは。
いやぁ、今日は市長に夢まで語っていただきましたね。ただ、夢というのは、夢のままではいけませんからね。何としても実現していただきたいですね。
齊藤 そうですね。そうして、将来の子どもたちから「飯塚っていうのはこんなに素晴らしいまちなんだ」って思われるようなまちにしていきたいですね。
中村 いやぁ、期待しております。本日はありがとうございました。
【文・構成:坂田 憲治】
齊藤 守史(さいとう もりちか)
1948年10月生まれ。日本大学商学部経営学科卒。1971年7月一番食品(株)入社。76年9月同社専務取締役、96年4月同社取締役副社長、98年4月同社代表取締役社長を経て、10年4月同社代表取締役会長に就任。06年4月、新市発足にともなって行なわれた飯塚市長選挙に出馬し初当選を果たし、現在2期目を務める。信条は「我以外皆我師也」。
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