私は今回、『漫画 伊藤伝右衛門物語』の制作委員会副会長を務めました。税理士、経営コンサルタントとして活動するかたわら、全国6万人の会員を有する倫理法人会でレクチャラーをしています。その倫理法人会の創始者である丸山敏雄先生は、貧しい環境で勉学に励んでいました。進学など夢のまた夢という状況のとき、1915(大正4)年に設立された伊藤伝右衛門翁の「伊藤家育英会」の「返済無用」奨学金に救われたということです。つまり伊藤翁がいなければ、地方経済を支えてきた倫理法人会も誕生していなかった、といっても過言ではないでしょう。そうしたこともあり、私は伊藤翁に関する書物を読みあさって「飯塚市にすごい功績を残した人だな」と改めて知り、今回の出版企画に至ったわけです。
過去に、白蓮の絶縁状が朝日新聞に掲載され、伊藤伝右衛門の名誉が著しく汚されました。そこで、漫画を出すなら朝日新聞に匹敵するよう、大手である講談社から出したいという思いから交渉を始めました。講談社からの出版の条件が「1万冊の買い取り」であったことに対して、「伊藤伝右衛門のようなデカい男ならそのくらいの条件は飲むはず」という思いで製作委員会が動きました。
伊藤翁は幸袋出身ですが、成功者というのは往々にして妬まれます。しかし、過去に相当叩かれて過ぎていましたから、さすがに地元でもかわいそうだという気持ちがあったのかもしれません。出版する前に会合を開いたとき、「伊藤さんを知っている」という方がまだおられました。その方も「名誉回復できることをしてほしい」と訴えていました。
実は旧伊藤伝右衛門邸は、伊藤翁を讃えるものではありません。何か歴史が歪んでいるのです。なぜか。マスコミや映画の影響があるにせよ、簡単に言えば、地元の人がきちんと勉強していないからです。あとは行政の官僚体質があります。いったん決められた評価を覆すのは大変で、変化を望まず「それで行こう」となってしまいますから。
2009年11月、飯塚市で「屋久島うみがめ展」が行なわれました。これは、全国初となる海ガメの県保護条例制定のきっかけをつくった故・上田正文さんの弟・博文さんの、「故郷の飯塚に恩返しを」という気持ちから始まりました。私もそれに関わり、会期中は子どもから大人まで5,500人の方に来ていただきましたが、当時は飯塚市長に「なぜ海ガメか?」「お金は出せない」と言われました。私たちは「お金はいらない。後援の名前だけで良い」と突っぱねて、お金も自分たちだけで集めました。
私が言いたいのは、そうした「何とかして飯塚を盛り上げよう」という機運がこの地にまだあるということです。漫画もそうで、そうした火は焚き続けないといずれ消えてしまいます。
とは言え、旧伊藤伝右衛門邸は飯塚市のものですが、そうしたところに「漫画をつくりました」と持っていってもなかなか賛同してもらえないものですね。これが田舎者の根性と言いますか。でも、それはそれで良いのです。我々はそれくらいの力を発揮できると思っていますから。
山笠も新しく二瀬流ができましたし、こうした地域活性化につながる活動は所々で行なわれています。飯塚市はまだまだマンパワーがあり、何より活気があると思います。
【文・構成:大根田 康介】
<プロフィール>
林田 俊一(はやしだ しゅんいち)
1950年、福岡県生まれ。64年嘉穂高校、73年国士舘大学を卒業。82年に林田税理士事務所を開業。税理士、経営コンサルタントとして活躍する。穂波ライオンズクラブ元会長、飯塚倫理法人会元会長などの要職も務める。
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