<雄勝町、壊滅>
新聞、TVの写真・ビデオと自分の目で見るとではまるで印象が違う。南三陸町の被害光景は度々、目にしていたので想像はしていたが、現実を目の当たりにすると絶句するしかない。山手(西方面)からこの町に入って行ったが、海岸から2.5kmほどの内陸部でも住宅の被害が発生していた。町の中心部はほぼ壊滅状態である。町の機能回復までにはまだかなりの時間を要するだろう。
南三陸町から南へ向かった。ある湾内通りの道路を走っていたら無尽の町に遭遇した。港・魚市場を中心に町と言うよりもひとつの集落地域である。ここがものの見事に全滅しているのだ。誰ひとりいない。居たのは魚釣りをしていた地元の人のみ。ひとりを目撃した。「地元住民は皆な避難疎開をしている」と、返事があった。車を飛ばすと小さい湾ごとに集落があり漁業で飯を食っていた光景に出くわす。それらの集落がすべて被害を受けているのだ。
致命的な被害を受けたここ一帯を調べると『雄勝町』とわかった。「おがつちょう」と呼ぶ。硯の石の産出で有名なところである。この町は完全に機能麻痺をしている。九州にいると新聞、TVで情報を得られないが、『雄勝町』のように壊滅している自治体は、たくさんあるようだ。これは現地に行かないと情報をつかめない。この『雄勝町』は現在、石巻市に合併されており最東部に位置する。たしかに不便で「陸の孤島」と化している。
<女川原発だけが残る>
雄勝町を東に行くと牡鹿半島が連なっている。その半島の根っこが女川町である。この町には女川原子力発電所がある。この原発は東京電力でなく東北電力のものだ。地元に貢献しているものである。この女川原発にも福島原発同様の被害が発生していたならば日本政府は対応にお手上げとなり無政府状態化していただろう。福島原発と較べて頑強な防衛ができていたというものではない。たまたまラッキーな要素が絡み合って結果、オーライだったに過ぎなかった。現実は事故寸前であったのだ。
ラッキーというのは湾内の陰に隠れていたお陰で致命的な打撃を浴びなかっただけのことだ。冷却装置の電源には被害が出ていたと聞く。危うく女川原発は難を逃れたが、町民は悲惨だ。大半の方々が避難所暮らしだ。女川第二、第三小学校に立ち寄ったが、運動場はすべて仮設住宅が建てられている。住民はすべてこの仮設住宅で生活をしているのである。本格的な自宅建設までにはかなりの時間を要するであろう。
女川町の完膚無くまでに叩き壊されたシーンを直視しながら閃いた。「この光景は日本全国にある原発地域に生じるものだ」という結論である。「女川原発だけ残り住民の日常生活は灰になる」ということだ。もう少し意地悪な表現すれば「住民死して原発残る」となる。7月18日段階では女川町の海岸中心部ではまだ復興工事中で道路もノロノロ運転が余儀なくされていた。石巻市の復興テンポとは格段の差がついていた。遅れていたのである。
≪ (10) |
*記事へのご意見はこちら