<上には弱く、下には強権>
この2、3日の報道をみると「やらせメール策動は、御上の指示でなされた。九電が独創・独走したものではない」という九電被害者論の仕立ての魂胆が見かけられる。要は「御国の保安院から指導があった」とか「古川佐賀県知事から神託があった」と弁解をしているようだ。本当に九電という組織の『お上には弱く、下々(住民)には高圧的に処置する体質』が露わになってきた。
まずは原発事業推進に群がっている守旧派が鮮明になったことは画期的なことだ。古川佐賀県知事は「佐賀県民を守るのでなくわが知事の地位を保つために金と票を提供する九電に体を張ること」が赤裸々になった。保安院も然り。民主党の政治家(旧民社党)たちも全国電力労連から政治献金を頂き垂らし籠められている。知らぬ間に民主党のエネルギー政策において『減原発』の政策が捻じ曲げられた(3.11から劇的変化を余儀なくされたが・・・)。玄海町に見られるように地元町長、地元ボスまでも飴をシャブらされてきた。
この強固と見られていた『原発利権派』すなわち守旧派が「3.11福島原発爆発」から一夜にして風前の灯に落ち込んだ。玄海町の守旧派たちは「九電さんは東電さんよりも財務内容は優れているから大丈夫」と自己暗示をかけて不安を解消しようとしている(前回、4回目のシリーズ添付九州電力の連結決算を参照されたし)。たしかに財務的には東電を上回る指標(たとえば自己資本比率25.40%)があるが、そんなものは気休めにもならない。12年3月期までに原発再開が不能になれば「1,000億円の赤字の覚悟」も想定されるのだ。そして今回は赤字決算を理由に安易に電気料金をアップできる環境ではない。
<エネルギーの流れが変わる>
お気づきの方々もたくさんいらっしゃるはずだ。「従来、『電気だ、自動車ガソリンだ』と二元論的に論じられてきたが、新しい時代に突入したのではないか!!」という素晴らしい時代感性を持っておられる。原発に変わりうるエネルギー源として「再生エネルギー活用か、原発を減らしつつ化石燃料そして、再生エネルギーを増加させる」など、論じられている過程で地殻変動が急激に進んでいる。
たとえば水素活用に関して言えば「住宅使用電気にも車燃料にも」という仕様が論じられているだけでなく、具体的活用のモデル化が進んでいる。「この住宅こそが発電所であり、自動車供給スタンドの役割を果たす」ということである。パナソニックなどは企業の総力をあげてビジネス展開に挑んでいる。電力業界には異業種から着々と殴り込みをかける布石が打たれているのだ。今までのような法の規制に守られて電気供給事業者として安閑とできる状況は終焉したのである。
守旧派という存在を一概には否定しない。局面において役に立つこともあろう。だが、現局面はエネルギー活用のあり方を根本的に見直し新たな組み立てが必要とされている時期だ。こういうときにこそ新事業を創出させる能力が求められる。原発、火力発電所という発電基地から使用者に電力を供給する"集中型"は、時代の遺物になり下がりつつある。「この集中型供給のビジネススタイルに染まった守旧派の方々は用済みだ」と理解してほしい。
*記事へのご意見はこちら