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コダマの核心

創出派vs守旧派の激突戦争時代(8)~平成の『後藤新平』見当たらず
コダマの核心
2011年8月 5日 11:27

<後藤新平記念館でため息>

 弊社では5名の社員を宮城県の被災地へボランティアと取材を兼ねて派遣した。その総仕上げの意味で筆者も7月17日から20日まで、岩手・宮城・福島・浦安の被害現場を駆け巡った。このシリーズで「国家存亡の危機においていかに政治家の卓越したリーダーが出現しないのか」を嘆いたし、『登場してこない時代背景』の必然を指摘した。たかが1945年以降65年続いてきた太平の時代に国民だけでなく各指導層が惰眠してきた。その輩たちが『根本的な創造力が問われる時期』に守旧派としてのさばってきた。彼らの自分の利権に執着するばかりの振る舞いには怒りを禁じえなかった。

 3月11日以降、「国家指導者とは?」を自問自答してきた。帰結したのは『後藤新平のリーダーシップ』である。久しぶり彼に関する書物を10冊ほど読み漁った。あらためて後藤新平の偉大な功績を認識し感服した。「であれば、まず第一番に新平の生まれ故郷・水沢の記念館に行って見よう」と決めた。到着したのは17日午前11時半。岩手県水沢(現在は岩手県奥州市水沢区)はその日は暑かった。記念館内は1時間で見学できたが、後藤新平の壮絶な人生ドラマに接触して強烈な刺激を浴びた。久しぶりに大きな感銘を受けた。だが、すぐに「平成の後藤新平は現れないな...」とため息をついてしまった。

後藤記念館

<新平をひき上げた恩人たちを輩出する時代背景があってこそ>

後藤新平の仕事 後藤新平の評価の第一級は「大正の関東大震災で破壊された帝都=東京を東京市長として復興させた功労者」である。このことは万民が知っている。東京市長として傑出した指導力を駆使できるまでになったのには過程がある。水沢の下級武士生まれである新平は、貧困のなかで苦学していた。その新平の将来性を見込み、経済的支援する人の存在を見逃すことはできない。新平の人生の各要所で恩人たちとの出会いが数多くある。

 たとえば、愛知県病院長として活躍していた時には長与専斎から内務省にスカウトされる。児玉源太郎からは台湾経営の責任者として配置転換を求められる。台湾経営の経験が『創出派・後藤新平』の礎になったと言っても過言でない。台中市には後藤新平の銅像が立っている。台湾の要人は誰でもが「台湾のインフラの基礎を築いたのは後藤新平先生のおかげである」と認定している。同記念館への台湾関係者の視察訪問も多い。そして、台湾統治の成功の実績を踏まえて、満洲へ活動の拠点を移す。南満州鉄道株式会社(満鉄)の初代総裁に就任。こちらでは充分な成果を納めないうちに帰国した。

 新平を政治家として大きく飛躍させたのは桂太郎のひいきによるものだ。1912年、逓信大臣兼鉄道院総裁に就任する。この時に、今日の郵政(郵便局システム)、鉄道の形態の基盤の布石を打った。外務大臣にも横滑りをしたことがある。また、あまり知られていないが、NHKの基礎も後藤本人の功績である。つまり、現代社会におけるインフラの中核分野、交通体系(鉄道主体)・通信を整備したのは新平である。

 後藤新平の活動プロフィールを簡単に紹介してきたが、彼の活躍できる裏側では強力なサポート者の介在がみられる。「時代背景」と言えばそれまでであるが、恩人たちのおかげで好きなように与えられた使命業を完遂できたのだ。嫉妬先行で足を引っ張り合う傾向がある現状では、『平成の後藤新平』が登場するのは不可能に近い。残念だが―。

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