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【飯塚特集】利便性のポテンシャルをどう活かすべきか~民主党・県政クラブ県議団吉村敏男会長(後)
自立する地域社会
2011年9月 2日 07:00

 長年、嘉飯山地域で政治の世界に関わってきた吉村敏男県議。自民党勢力がいまなお強いこの地域で現在、民主党・県政クラブ県議団会長および民主党福岡県連幹事長という要職を務めながら、地域発展に尽力している。そんな吉村県議に、とくに飯塚市域が抱える課題と経済発展への見通しについて、率直な思いを語っていただいた。

<雇用拡大が先決>

 ―飯塚市は、IT特区を設けるなどの取り組みもしています。

 吉村 たしかに、九州工業大学情報工学部、近畿大学産業理工学部の2つがあるため学術都市とも言われ、ITを中心としたベンチャー企業の育成に取り組んでいますが、なにぶん規模が小さい。雇用の全体の受け皿にはなりえていない状況があります。やはり当面は自動車産業の回復を待って、それに関連する企業誘致を図って雇用を生み出していくことが先決です。たしかに雇用を生み出していくというのは、この地域に限らず日本全国の課題となっています。若い人たちが学校を卒業しても、働く場所がないという理由から、どうしても都会に出ていきます。それは、この飯塚市でも同じで、そのことが結果として過疎化と高齢化を加速させています。

 ―自動車の話に関連してですが、鯰田工業団地への企業誘致が決まりかけたけれども、昨年になってそれが頓挫したと聞きました。

 吉村 その理由は「そんなことで?」と思う理由だったと記憶していますが、行政は十中八九その企業が団地に来てくれるだろうと踏んでいたようです。鯰田工業団地をめぐっては、地下に坑道が走っているなどと言われていますが、住宅地の下にも坑道跡はたくさんあります。筑豊地区はどこでもボーリングすれば坑道に当たる可能性は否定できません。地盤沈下も過去にはありましたが、今はそれも安定しています。

吉村敏男氏 いずれにせよ飯塚市は、企業誘致の実現に全力で取り組んでいます。しかし、いろいろな理由で誘致できていないのが現状です。せっかく造った工業団地ですから、企業誘致を実現することが、この地域に雇用を生み出す大きな力になると思います。たとえば頴田町は、現在は合併して飯塚市ですが、ここにも工業団地があります。頴田町はもともと工業用水が不足していたのですが、飯塚市との合併で工業用水が融通できるようになり、工場が誘致され雇用が生み出されています。

<商店街が疲弊した理由>

 ―そのような工場団地の話がある一方で、もう1つの課題として、中心市街地活性化の問題があります。

 吉村 それはこの地域に限らない課題でしょう。たしかに飯塚市は、商店街活性化を国の指定を受けてやろうとしていますが、現状では「そんな小手先だけで商店街を復活できる状況ではない」と私は考えています。なぜかといえば、これは2000年に大店法が改正されて大型店が敷地面積の要件が甘い郊外に進出することになり、我々は「そんなことをしたら地域の商店街は潰れる」と言ったのですが、時の自民党政権はその政策を進めました。しかし、大型郊外店が立地するとあまりにも周りの商店が潰れるものだから、慌てて06年に改めてまちづくり三法に規制をかけています。

 一方で商店街の活性化は、大型店との共存も重要な視点の1つです。この地域で典型的な例で言えば、ジャスコ(現イオン)の移転問題があります。以前、現在のイイヅカコスモスコモンがある場所に、大きな商業施設を持ってこようという話がありました。ところが、商店街の商店主の大半が「そのようなものを持ってきたら店が潰れる」として反対しました。それでその話はなくなったのですが、私は素人でしたが、そのとき「なぜそんなに反対するのか?」と思いました。その後、中心市街地から1㎞ほど西の穂波町枝国にジャスコが移転しました。

 その後に何が起きたかというと、大型店の移転による商店街の疲弊です。当時ジャスコは、西鉄バスセンターから少し遠賀川寄り、アイタウンの少し南側にあった飯塚女子高等学校の跡地で営業していました。規模は現在の3分の1くらいでしたが、店ができたときに、本町商店街とバスセンター、そしてジャスコの間に人の流れができたのです。その起点がジャスコでした。

 これは、今の福岡の川端商店街と同じでしょう。キャナルシティができたことで、閑古鳥が鳴いていた商店街に一気に人の流れが出現しました。今では、川端商店街はものすごく元気な商店街になっています。裏を返せば、ジャスコがなくなれば、人の流れの起点がなくなることはわかっていたはずです。もし、嘉穂高校跡に大型店が立地していれば、ジャスコが移転しても、その施設が起点となって人の流れが止まることはなかったと思いますので、飯塚市の場合はこれが失敗ですね。

 地元商店街の反対の結果、嘉穂高校跡地にはイイヅカコスモスコモンという文化センターができましたが、イベントがしょっちゅう行なわれているわけではありません。立派な建物ですが、日頃そこに多くの人が集まることはないのです。しかし、大きなショッピングセンターがあれば、そこには毎日何千人という人が来るわけです。その人たちは商店街でも買い物をするわけですよ。だから、「人の流れが止まったことが飯塚の中心商店街を疲弊させた」と私は思っています。

 今、飯塚の市街地はその中心が西に2㎞ほどずれています。ですから、今後の市街地の活性化は新飯塚から菰田、片島、枝国から太郎丸のコメリあたりも含めた「面」として考えなければダメだと思います。

 私は市街地の活性化は、今残って頑張っている人たちが何とか仕事が継続できるように考えるべきだと思います。今必要なのは、行政がいちいちイベントをしなくても人が流れる仕掛け、工夫だと思います。これまでも人の流れがあったからこそ、自然発生的に商店街ができたのであって、人がいなくなれば自然消滅するのは必然です。今後は「人の流れが街を作る」―その最も基本的なことを念頭に街づくりを進めることが必要です。

(了)

【文・構成:大根田 康介】

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