ネットアイビーニュース

NET-IB NEWSネットアイビーニュース

サイト内検索


カテゴリで選ぶ
コンテンツで選ぶ
会社情報

脱原発・新エネルギー

「電力の鬼」松永安左エ門の瞳に今の電力体制はどう映っているか(4)
脱原発・新エネルギー
2011年9月 8日 07:00

 現在、発電に関する新エネルギーについての議論が盛り上がっている。ではそもそも、現在の電力体制はどのような歴史を辿ってきたのだろうか。ここでは、「電力の鬼」と言われた松永安左エ門(まつなが・やすざえもん、以下松永)の生い立ちから電力事業への関わりまでを見ることで、改めて電力体制のあり方について再考する材料としたい。なお、今回の取材にあたって、「壱岐松永記念館」管理人の定村隆久氏に、事実関係の確認や画像使用などの件でご協力いただいた。以下、定村氏の言葉を交えながら、松永の人物像と電力会社の歴史に迫ってみよう。

<5大電力会社体制へ>

 東邦電力設立に先立って、1917(大正6)年、松永は41歳の若さで博多商業会議所(現・福岡商工会議所)の会頭になった。さらに同年4月、福岡市の代議士選挙に立候補。このとき定員は1人で、競争相手は早稲田出身で言論界の雄だった中野正剛と、地元有力者の宮川一貫だった。総選挙で松永は2人を抑えて勝ち抜き、代議士となった。1920(大正9)年5月の総選挙では中野正剛に巻き返され、政界から足を洗った。

 第一次世界大戦(1914~18年)後、日本の工業生産が勃興した時期であり、電力需要が急増して発送電コストも低下した時代だった。この頃は、電力会社が雨後のたけのこのように各地に設立されており、供給過剰と需要の伸び悩みから過当競争が激しくなっていた。

 東邦電力は新たな販路を開拓すべく、東京進出を図った。折しも1925(大正15)年、東邦電力は2年前に起こった関東大震災のため経営難に陥っていた早川電力(静岡、横浜、東京に供給)を引き受け、すでに傘下にあった群馬電力と合併させ、子会社として東京電力を設立した(松永が副社長を兼ねた。現・東京電力とは別)。

 この東京電力は低料金を謳い、1886(明治19)年7月5日に営業開始した日本最初の電力会社で、当時関東で大きな力を持っていた東京電燈と覇権を争った。東京電燈の背後には池田成彬(のち日銀総裁、蔵相・商工相)の三井銀行があり、郷誠之助(元日本商工会議所会頭)や小林一三らも巻き込んでいく。結局、この大物たちの調停によって2社は1927(昭和2)年に合併し、新たに東京電燈が設立された。中小電力会社の過当競争は終結し、5大電力会社体制(東京電燈、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力)に収束されていった。

 「のちに松永翁は『無理して勝つより上手に負けた方がいくらか良かった』という捉え方をされているようですが、三井財閥との話し合いで東京電燈と東京電力を合併させられました。ただ、『松永を新会社の社長にしたら何をするかわからん』と思った三井財閥側が、同じく三井系の小林一三さんを大阪から呼びます。小林さんは松永翁とお互いの力を認め合う仲で、間違いはないだろうということだったようです」(定村氏)。

松永が辿った軌跡(記念館展示の年表)

(※クリックで拡大)

(つづく)

【大根田 康介】

≪ (3) | (5) ≫

*記事へのご意見はこちら


※記事へのご意見はこちら

脱原発・新エネルギー一覧
脱原発・新エネルギー
2012年12月 7日 16:00
脱原発・新エネルギー
2012年10月31日 16:30
コダマの核心
2012年10月30日 11:00
脱原発・新エネルギー
2012年10月 9日 11:23
脱原発・新エネルギー
2012年9月27日 10:04
脱原発・新エネルギー
2012年9月27日 07:00
クローズアップ
2012年9月26日 12:00
脱原発・新エネルギー
2012年9月25日 17:23
NET-IB NEWS メールマガジン 登録・解除
純広告用レクタングル

2012年流通特集号
純広告VT
純広告VT
純広告VT

IMPACT用レクタングル


MicroAdT用レクタングル