<"黒子"がいつのまにか表舞台に>
これまでの人材紹介業は、時代の要請で、その役割を徐々に拡大変化させてきた。当初は、人材と企業の橋渡しに徹した「黒子」的存在だった。
IT産業に日本が軸足を移す頃になると、人材紹介業は、ビジネス的にも立派に儲かるように、それもかなり儲かるようになっていた。その頃、市場を席巻し始めたのがR社などであり、その後少し時間を経てI社等が参入してきた。
人材紹介業の役割の変化は、まったく英会話学校の栄枯盛衰の構図と同じである。英会話学校が儲かるビジネスとわかった途端、後に市場を席巻するN社をはじめ、異業種である商社、航空会社らが英会話学校を乱立させた。どこが同じかというと、いずれも、儲かるようになって後発的に参入してくる企業は、ビジネスオンリーで、本来の最も重要な部分、英会話学校でいえば「教育」、人材紹介会社で言えば「人間の生きざま」、には全く関心がない、という点だ。N社の軌跡をみれば、それは明らかだ。英会話教育という大切な理念を忘れ、結局は破綻した。
とにかく、「黒子」が表舞台に出てきたところから、転落の序曲が始まったといえるのである。もうひとつ、人材紹介業において、人材と企業を誤った方向に導いてしまった大きな要因に、インターネットの普及があるが、この話は別の機会に徹底的に分析してみたいと思っている。
<人材"コンサルタント"って何?>
現在1万6,981社あるとされる人材紹介会社が、インターネットの普及や規制緩和が拍車をかけ、急激に増えだしたのは2000年頃である。人材紹介業界は、他産業と比べて企業規模は驚くほど小さい。数十人コンサルタントがいれば大手であり、100人を超えれば最大手だ。急激に増えた会社の平均は、何と3人~5人規模の会社である。
時を同じくして、ヘッドハンティングではない外資系のコンサルタント会社も、多数この市場に参入してきた。マスコミも注目し、はやし立て始めた。「人材紹介業」というビジネスが、「人間の生きざま」とは関係なく、ビジネスとして一人歩きを始めたのだ。
20代の人材コンサルタントが大量に生まれたのは、この頃である。大手の人材紹介会社は、大量の企業と人材のデータベースを保持していたので、機械的なマッチングであれば誰でもできるのだ。つまり、誰でもコンサルタントになれた時期があった。
「キャリアコンサルタント」などというわけが分からない資格が生まれたのもこの頃だ。これは、実施監督官庁を含め、関係者が儲かるからに過ぎないと思えるのだが......。
この流れのなかで、大企業を退職した人間が多数、次の飯のタネとして「人材コンサルタント」を志した。
私は、この種の「社会経験のない20代の人材コンサルタント」や、現場でのコンサルタント経験のない「キャリアコンサルタント試験を受かっただけの60代の定年退職者」で、一流のコンサルタントになっている人間に、出遭ったためしがない。業界では、ごく当たり前の話だ。
ここで、コンサルタントの定義を調べてみよう。辞書では、コンサルタントとは「指導・助言をする専門家。相談役。」と定義されている。新卒で入社して未経験でも、コンサルタントとは定義をみてもおかしいではないか。社会経験が豊富でも、実践経験がないのでは、適切な指導や助言ができないことも明らかだ。
20代の新卒の女性コンサルタントに、30代後半、場合によっては、40代の立派なビジネスマンが「人生」で最も重要なキャリア形成の相談をするという現象も、冷静に考えるとおかしなことだ。企業名だけの紹介であれば、何とかできると思うが・・・・・・。ブラックユーモアに近い話がある。その20代のコンサルタントが、相談者より先に転職してしまうケースが多発したのである。優秀な人間ほど、コンサルタントとは名ばかりで、相談者に紹介企業を機械的に斡旋する「営業部員」に過ぎないことにすぐに気づいたからである。
【富士山 太郎】
<プロフィール>
富士山 太郎 (ふじやま たろう)
人材紹介、ヘッドハンティングのプロ。4,000名を超えるビジネスパーソンの面談経験を持つ。紹介する側(企業)と紹介される側(人材)双方の事情に詳しく、各業界に幅広い人脈を持つ。
※記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら