＜思考停止してしまった人事部＞

　では、どうしてこのような事態を引き起こしてしまったのだろう。それは、企業側と人材側の双方に責任がある。ここでは、先ず企業側について見ていこう。日本が世界の工場から退場し、ＩＴ産業に軸足を移していく動きと並行して、人の採用に「スペック」（専門性を数値化したもの）という言葉が叫ばれるようになった。
　ＩＴ産業はとても技術進化が速く、技術の細分化も激しいので、絶えず学習を継続していかないとすぐに自分の技術が陳腐化してしまう。同時にこのことは、企業内における人事部採用担当者の地位を大きく低下させた。人事部は本来的には、法学部などの文系出身者が多く、その技術的な流れについていけないのだ。したがって、人材採用判断は全て「スペック」重視の各事業部門が行ない、事前・事後の事務処理だけが人事部の仕事になってしまった。私は、このことが日本経済の停滞、日本の会社の元気のなさを誘発しているように思えてならないのだが......。

　この頃になると、ＩＴ産業、ソフトウェア産業がメーカーに代わり日本産業の牽引役となってきていた。ＩＴ技術者、ソフトウェア技術者の採用は増え続け、加えて、細かいスペックが要求されるので、人事部採用担当者の事務処理量は膨大になった。並行して人材紹介会社も急激に増え続けていた。

　人事部が思考停止してしまった原因のひとつは、この人材紹介会社が増えすぎたことも大きな原因のひとつだ。2000年代に入ると、机に座っているだけで、大手・中小を問わず1日に50本を超える人材紹介会社からの電話が鳴るのだ。それにしても驚くべきことは、1社で100社以上の人材紹介会社と取引するところも多く出現し、50社程度は当たり前の話だった。自分の会社の将来を担う社員を採用するのに、このような丸投げ、行き当たりばったりではダメだということは、すぐに分かるはずだったのだが......。

＜私は高く売れますか？＞

　人材側にも驚くべき現象が起きていた。いわゆる「売り手市場」の出現である。筆者がとても驚いたのは、日本のトップランクの国立大学を出た相談者の第一声であった。彼は、相談に来て、開口一番こうのたもうた。
「私は高く売れますか？」
　ちょっと待って欲しい。筆者の考える転職は、自分の将来のキャリア形成にやむを得ない事情が生じた場合にのみ許されると思っていたからである。その事情も上司が嫌いとか、年収が低いとか、勤務時間が長いとか、休みが少ないとかでは全く情けないと思っていたものだ。

　彼が勘違いするのもやむを得ないのかも知れない。というのは、当時、人材紹介会社の
広告コピーのなかには、「あなたを高く売るエージェントになります！」というものもあったからだ。大リーガーでもあるまいし、何を考えているのだろう。
　マスコミも、新聞や雑誌で転職をすることがまるで「ブーム」とばかりにあおっていた。
電車に乗ると、中吊りはもちろん窓まですべて人材紹介会社の広告で埋まっていた。

　転職評論家みたいなわけのわからない人間も出現した。倫理感を持って正しいことを発言するのならともかく、「一流大学を卒業して一流会社に入社しても、少しでも気に入らないなら３年以内に辞めるのは当然だ！」、と公言していた。何を考えているのか。頭がおかしいのか。日本のビジネスパーソン全員がそのように行動したら、国が成り立たなくなることは明らかだ。彼らはいったい企業をなんだと思っているのだろう。この国を滅ぼすつもりなのか？　とくに、学生は影響を受けやすいので、このような無責任な発言は慎んでもらいたいものである。
　この状況下で、先の彼のような「転職ありき」の人間が大量に生まれてしまった。しかし、そのような行動を繰り返していると、まともな企業には当然相手にされなくなることも事実だ。そうなると、笑い話になってしまうが評論家しか生きて行く道がないのだ。すべての人が評論家に向いているとは限らないと思うのだが......。

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＜プロフィール＞
富士山　太郎　（ふじやま　たろう）
人材紹介、ヘッドハンティングのプロ。4,000名を超えるビジネスパーソンの面談経験を持つ。紹介する側（企業）と紹介される側（人材）双方の事情に詳しく、各業界に幅広い人脈を持つ。

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