「戦場に独りで降り立った闘士、それが自治体の首長である」
日本の自治体で、住民自治が行なわれているところはただのひとつもない――私はこのように感じています。
国と自治体は、事実上、官僚など公務員の集団意思で動いています。彼らは「適正に」「合法的に」やっていると主張しています。公務員たちは、住民の投票で選ばれただけの、臨時雇い政治家に政治をさせるつもりはまったくありません。巧妙に策をめぐらし、ひたすら組織の安泰と繁栄を画策します。
そもそも、この国には「三権分立」などありません。「立法」「司法」「行政」――そのすべてが、行政権力である役人の手のなかにあります。
自治体職員は、官僚組織と連携しています。議会と市長を手玉に取ることで、民主主義や自治があたかも存在するかのように見せかけています。結局、住民の資源を利用して自らの繁栄を図る、国家とつながった公務員組織が"影の支配者"なのです。
住民が「それでも構わない」と判断するのであれば、私が言うことは何もありません。しかし、そうではない在り方、今までとは違う社会を求めて、福岡市の市民は市長を替えたはずです。市長はしばしば、当初の想いとは反対の方向に動いてしまう市政に、とまどっておいでのことでしょう。
もしそうであるならば、志を実現させない相手の正体に、まだ気付いていないからです。私自身が相手の正体をはっきりとわかったのは、2年半の阿久根市長経験のうちの、最後の半年あたりでした。
自治を阻害しているもの――それは「国」です。自治を実現することは、すなわち、国を変えることだと気付きました。
政府や国会をご覧になってもわかるように、中央から国が立ち直ることは期待できそうもありません。ただ、自治体には可能性があります。もちろん容易なことではありません。
住民のための社会をつくろうとする首長には、特攻隊にも似た、悲壮なまでの決意が必要です。自らを、体制を切り裂く「楔(くさび)」とし、さらには国家の官僚支配までも切り裂くという決意が必要です。
実は、役所の不公正さは、完全につながっています。自治体も国も「一緒」で「一体」なのです。ですから逆に、最初は大変ですが「ある程度まで進めば自動的に開いてしまう」と私は感じています。
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