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「北九州銀行」を誕生させた山口FGの歴史(19)
発信!北九州
2011年11月22日 07:00

<山口銀行前身の第百十銀行の沿革(19)~鈴木商店の破綻(9)>

大屋政子夫人.jpg 1956年(昭和31年)に政界を引退して帝國人造絹絲の社長に復帰。 「死ぬまでやめない」が口癖だった大屋は、その言葉通り、1980年(昭和55年)3月9日に亡くなるまでの24年間トップとして君臨し、通算社長在任は26年余りであった。

帝人再建に多大な功績を残した大屋ではあったが、その政権末期は高齢による経営能力の低下に加え、政子夫人も経営に介入するなど超ワンマン経営の弊害が噴出。1980年に大屋が入院した際、当時の副社長さえベッドに近づくことは許されず、遠く離れたところからしか大屋社長に会えなかったと言われるエピソードも残っている。

帝人は大屋亡き後、長期政権の弊害を教訓に社長の任期制限を定款に記載。また、負の遺産である多角化経営の整理に追われ、20年近く厳しい経営環境に晒されることになるが、その後、医薬医療事業や炭素繊維等の高機能繊維の成長により、1990年代後半からは堅調な業績を継続することになる。1997年から2001年までの4年間同社社長を歴任した安居祥策氏は、会社再建の腕を買われて、現在日本政策金融公庫代表取締役総裁に就任している。

余談になるが筆者も取引の関係で1980年代後半、帝人本社に出入りしていた。ある時社員から直接話を聞く機会があった。話を要約すると、「政子夫人は牛乳風呂」に入るのが好きで、風呂への牛乳搬送や湯加減および清掃を担当させられ大変だった」 と大屋宅(天下茶屋)へ出向いて風呂番を務めたサラリーマンの悲哀をしみじみ語ったことなどが思い起こされる。

  政子夫人はピンク色を基調とした派手な衣装を好み、高齢になってもなおミニスカートを愛用するなど、異色のタレントとしてテレビ界でも活躍し、「ウチのお父ちゃんが」の台詞は一世を風靡した。

追記:天下茶屋の名は豊臣秀吉が堺に行く途中、茶会を催したことに由来するもので、現在は大阪市西成区天下茶屋の地名となっている。

(つづく)

【北山 譲】

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