ネットアイビーニュース

NET-IB NEWSネットアイビーニュース

サイト内検索


カテゴリで選ぶ
コンテンツで選ぶ
会社情報

発信!北九州

「北九州銀行」を誕生させた山口FGの歴史(21) 
発信!北九州
2011年11月25日 07:00

<山口銀行前身、第百十銀行の沿革(21)~鈴木商店の破綻(11)> 

 帝國人造絹糸(現在の帝人)と百十銀行並びに大屋晋三氏を結び付ける内容が山口銀行史に記載されているので、以下抜粋して掲載する。

 1~百十銀行と(株)鈴木商店との取引 上述したように金融恐慌の引き金となった(株)鈴木商店は、関門地区にはその下関支店を中心に明治以来多くの事業展開をしていた。特に下関の砂糖問屋が、九州一円をはじめ、西日本一の地歩を占めるに至ったのは、明治37年(1904)の鈴木商店大里製糖工場の設立に負うところが大きい。昭和2年(1927)当時、関門地区における鈴木商店系列の会社は、下関側には、日本金属(株)彦島精錬所(現彦島精錬所(株))、クロード式窒素工業(株)(現三井化学(株))、沖見初炭鉱(株)、帝国炭業(株)などがあり、門司側には、神戸製鋼所門司伸銅所、日本酒類醸造(株)(現協和発酵工業(株))、帝国麥酒(株)(昭和4年、櫻麥酒(株)と改称、現サッポロビール(株))、日本製粉(株)などがある。  その他、徳山には旭石油(株)徳山工場(昭和4年、南満州鉄道に買収され、その小会社の日本精蠟(株)となる)、特に麻里布(現岩国市)では、帝國人造絹絲(株)岩国工場(現帝人(株))が(株)鈴木商店の破綻直前の4月1日フル操業に入ったところであった。 このような関係で、百十銀行は(株)鈴木商店およびこれら関係会社との取引はあったのではないかと考えられるが、同行の現存資料からは全貌は分からない。しかし、銷却債権経過報告表から見ると、銷却したのは(株)鈴木商店と帝国麥酒(株)の2社だけである。
(注1)当時、頭取は斎藤、佐藤は常務、後頭取となる。なお、斎藤・佐藤はともに、大屋氏と同じく東京高商卒。

帝國人造絹絲岩国工場.jpg 親会社の鈴木商店の倒産により、その系列会社である帝國人造絹糸は生き残るために、幹部を総動員して銀行に支援を要請している。後に帝人の社長となる大屋晋三氏は「佐藤頭取が学校の先輩であったのを幸いに、強引に頼み込んで半分を株式にして貰い、ほっとした。ところが、2、3年後に帝人の株がぐんぐん上がったので、逆に感謝されたのは愉快であった」と、回顧しているが、学校の先輩後輩の繋がりで支援を受けたとの記述は、ビジネスライク一辺倒の現代でも通じるものがある。先輩にあたる百十銀行の斎藤頭取や佐藤常務にとっても、後輩の大屋氏に恩を売ると同時に、不良債権の回収と株式の含み益を得たことは面目躍如であったと言えよう。

(つづく)
【北山 譲】

≪ (20) | (22) ≫


*記事へのご意見はこちら


※記事へのご意見はこちら

発信!北九州一覧
発信!北九州
2012年5月24日 19:19
発信!北九州
2012年4月27日 14:00
発信!北九州
2012年4月26日 20:00
発信!北九州
2012年4月25日 12:02
NET-IB NEWS メールマガジン 登録・解除
純広告用レクタングル

2012年流通特集号
純広告VT
純広告VT
純広告VT

IMPACT用レクタングル


MicroAdT用レクタングル