ネットアイビーニュース

NET-IB NEWSネットアイビーニュース

サイト内検索


カテゴリで選ぶ
コンテンツで選ぶ
会社情報

発信!北九州

「北九州銀行」を誕生させた山口FGの歴史(23) 
発信!北九州
2011年11月29日 07:00

<山口銀行前身、第百十銀行の沿革(23)~鈴木商店の破綻(13)>

 盛況時の(株)鈴木商店取引状況は不明であるが、その破綻〈1927年4月5日〉後の昭和2年9月末の貸出額は、手形貸付で36万2,999円、割引手形で29万5,873円、合計65万8,872円であった。大口貸出の順位で、これは後の南洋興發(株)につながる(名)西宗商店、および現在のマルハ(株)の前身である(株)林兼商店に次いで第3位を占めている。さらに第4位に鈴木商店系の日本製粉(株)の手形貸付51万円強と続いている。この(株)鈴木商店の貸出は昭和7年下期までに27万9,440円98銭の銷却を行っている。昭和2年上期(6月)決算での、貸出金残高が約1,602万円(含むコールローン残高75万円)、当期利益金が39万円であり、諸積立金が240万円程度である百十銀行にとって、この負担は相当なものであった。
〈  〉内は筆者挿入

南洋興発サイパン製糖工場.jpg 百十銀行の大口貸出先のトップは南洋興發、2位は林兼商店、3位に鈴木商店、4位に鈴木商店系の日本製粉が続いている。もし日本製粉が連鎖すれば、当期利益39万円の丁度3倍にあたる合計117万円の焦げ付きが発生することになるが、当時の日本製粉は独力で生きる技術と販路を持っていたとも言え、今も製粉業界大手の一角を占めている。

 大口トップの南洋興發への貸出金額の記述はないが、第3位の鈴木商店が65万円強であり、第2位の林兼商店とともにそれ以上の貸出金であると推測される。もっとも南洋興發は国策の特殊会社であり、優良な貸出先だったのかもしれない。
ここで百十銀行の大口貸出先について触れてみたい。

・第1位 南洋興發(株)
 1914年(大正3年)に勃発した第1次世界大戦でドイツ帝国は敗戦。
 連合国であった日本は1922年(大正11年)、ヴェルサイユ条約によって赤道以北の旧ドイツ領ニューギニアの地域を国際連盟・委任統治領をとして統治することになる。

 政府の要請を受けて、東洋拓殖(東拓法により大韓帝国政府と日韓民間資本が出資)は子会社「南洋興發」を設立し製糖事業に着手。その後、南洋興發は水産業・農園業・鉱業・油脂工業・交通運輸業・貿易業などに事業を拡大し、南洋における最大の企業となる。

 最盛期には従業員・関係者は、5万人弱と満州に進出していた南満州鉄道(通称:満鉄)に匹敵する規模の会社と急成長を遂げ、「海の満鉄」とも呼ばれた。しかし太平洋戦争の激化に伴い、南洋諸島がアメリカ軍の占領下に置かれたため、事業は壊滅的な被害を受け、戦後はGHQにより閉鎖機関に指定され解散している。

(つづく)
【北山 譲】

≪ (22) | (24) ≫


*記事へのご意見はこちら


※記事へのご意見はこちら

発信!北九州一覧
発信!北九州
2012年5月24日 19:19
発信!北九州
2012年4月27日 14:00
発信!北九州
2012年4月26日 20:00
発信!北九州
2012年4月25日 12:02
NET-IB NEWS メールマガジン 登録・解除
純広告用レクタングル

2012年流通特集号
純広告VT
純広告VT
純広告VT

IMPACT用レクタングル


MicroAdT用レクタングル