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「北九州銀行」を誕生させた山口FGの歴史(27)
発信!北九州
2011年12月 5日 07:00

<山口銀行前身、第百十銀行の沿革(27)~銀行法の制定と県内銀行の合併(1)>

1―銀行法の制定と銀行合同の進展  大正9年(1920)から第一次世界大戦の反動恐慌に追い打ちをかけた関東大震災(同12年)の大打撃を受けた我が国経済は、混迷の度をさらに深め、地方の小銀行は次第に経営難となり休業や破産が跡を断たなかった。この状況に対し政府は、経済の安定と預金者保護の立場で銀行条例を何度も改正し、銀行合同の手続きの簡素化を図ると共に合併を勧奨して相当の成果をあげてきた。同15年には不況打開を意図した金解禁の準備も兼ねて、金融制度全般の改革を指向した「金融制度調査会」を設置した。そしてこの調査会の答申に基づいた銀行法案が議会に提出され、金融恐慌の最中である昭和2年(1927)3月30日に公布された(同3年1月1日施行)。

 銀行法の目的は銀行の基礎を強固にして、預金者の保護を主眼とするとともに、新しい諸種の規制を課することで、銀行そのものの整理を諮ることにあり、要旨は次の通りである。

最低資本金を決め、企業形態を株式会社に限定したこと。これにより全国普通銀行1,420行中半数以上の809行が資格を失うことになった(昭和2年3月末現在)。これらは5年後の昭和7年末までに、その資格条件を満たす必要があったが、政府は単独増資を認めなかったため、銀行経営を続けるには結局合併新方法はなく、中小銀行を結果として強制的に合併させることになった。 ~中略~ このため昭和3年から7年末までに合計864行が合同に参加し、470行の減少を見ることとなった。  

(出典:山口銀行史)

銀行合同の推移.jpg

 政府の方針に基づき、864行が合併に参加し、それにより消滅した銀行が534行。そのうち存続した銀行が330行となり、約6割の銀行が昭和7年までの5年間で消滅している。
 その後昭和19年3月の大合同前の金融再編の序章であったと言える。

  銀行のボリュームは違うが、最近でも1990年代のバブル前には下記の大手銀行23行が存在していた。

(1)長期信用銀行
日本興業銀行・日本長期信用銀行・日本債券信用銀行(3行)

(2)信託銀行
三菱信託銀行・住友信託銀行・三井信託銀行・中央信託銀行・東洋信託銀行・安田信託銀行・日本信託銀行(7行)

(3)都市銀行
第一勧業銀行・太陽神戸銀行・北海道拓殖銀行・住友銀行・三和銀行・東海銀行・富士銀行・東京銀行・三菱銀行・埼玉銀行・三井銀行・協和銀行・大和銀行(13行)

しかし金融ビッグバンを経て現在大手銀行は、三菱東京UFJ銀行、みずほ銀行、みずほコーホレート銀行、三井住友銀行、りそな銀行、三菱UFJ信託銀行、中央三井信託銀行、住友信託銀行、みずほ信託銀行、りそな銀行、新生銀行、あおぞら銀行の12行。このうちみずほ銀行とみずほコーホレート銀行は、2013年に合併する方針を打ち出しており、大手行は11行に集約される。23行あった大手銀行は11行となり、約5割以上の銀行が合併により消滅したことになる。「歴史は繰り返す」との言葉通りなのかもしれない。

(つづく)
【北山 譲】

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