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「北九州銀行」を誕生させた山口FGの歴史(39)
発信!北九州
2011年12月21日 07:00

<山口銀行前身、第百十銀行の沿革(39)~三菱銀行系から三和銀行系へ(1)>

百十銀行経営陣の変化
 (山口)県下各本店銀行の合併に向け大蔵省検査が行われている頃、合併の中心になる百十銀行の経営陣に大きな変化が起こっている。  昭和18年(1943)6月27日臨時株主総会が開催され、副頭取制新設の定款変更と取締役に広津次郎が補欠選任され、翌28日には副頭取に就任した。続いて7月25日の定時株主総会で布浦眞作が取締役に選任され、退任した三苫忠次郎常務に代わって常務に就任した。
 『旧史』(630頁)は、「合併を推進する布石としての人事異動が百十銀行に現れた。すなわち十八年六月二十七日に広津次郎、次いで七月二十五日には布浦眞作が三和銀行から派遣されそれぞれ副頭取、常務取締役に就任したことが其れである。これは以後県単位の地方銀行経営のためには、中央の金融事情にも精通した経営者が必要であり、その人材を都市銀行から求めたものであった。こうして合併準備は着々すすめられて行った。」と結んでいる。
(出典:山口銀行史)

布浦眞作氏.jpg 百十銀行が三菱系から三和銀行系へ替わった経緯については次回に記載するが、5行合併の母体となる百十銀行の経営陣にその変化が見える。

 副頭取に就任した広津次郎氏の略歴:明治23年生、広島商業卒業後、三十四銀行に入行。合併後の三和銀行で昭和16年取締役に就任し審査課長を委嘱される。昭和18年6月に上掲の通り取締役に選任された後、副頭取に就任。翌年の1944年(昭和19年)年3月31日に発足する山口銀行の初代頭取に、三菱銀行出身の百十銀行の佐藤好文頭取は会長に就任している。

 この時三和銀行から百十銀行、山口銀行の常務となった布浦眞作氏は広津次郎氏の跡を継いで、その後25年間頭取として銀行経営にあたる一方、健筆家としても有名で「読史夜話」を残している。略歴は下記の通り。

1943年(昭和18年)7月百十銀行常務取締役に就任
1944年(昭和18年)3月山口銀行常務取締役に就任(合併による)
1949年(昭和24年)5月頭取に就任。
1974年(昭和49年)6月取締役会長に就任
1980年(昭和55年)6月取締役相談役に就任
1985年(昭和60年)2月27日逝去(享年90才)

(つづく)
【北山 譲】

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