<山口銀行前身、第百十銀行の沿革(39)~三菱銀行系から三和銀行系へ(1)>
百十銀行が三菱系から三和銀行系へ替わった経緯については次回に記載するが、5行合併の母体となる百十銀行の経営陣にその変化が見える。
副頭取に就任した広津次郎氏の略歴:明治23年生、広島商業卒業後、三十四銀行に入行。合併後の三和銀行で昭和16年取締役に就任し審査課長を委嘱される。昭和18年6月に上掲の通り取締役に選任された後、副頭取に就任。翌年の1944年(昭和19年)年3月31日に発足する山口銀行の初代頭取に、三菱銀行出身の百十銀行の佐藤好文頭取は会長に就任している。
この時三和銀行から百十銀行、山口銀行の常務となった布浦眞作氏は広津次郎氏の跡を継いで、その後25年間頭取として銀行経営にあたる一方、健筆家としても有名で「読史夜話」を残している。略歴は下記の通り。
1943年(昭和18年)7月百十銀行常務取締役に就任
1944年(昭和18年)3月山口銀行常務取締役に就任(合併による)
1949年(昭和24年)5月頭取に就任。
1974年(昭和49年)6月取締役会長に就任
1980年(昭和55年)6月取締役相談役に就任
1985年(昭和60年)2月27日逝去(享年90才)
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