――臨時県議会で否決されたあとは、どうされたのですか。
石丸初美代表(以下、石丸) やはり、この灯を消してはいけないという使命感がありました。それに、このまま(脱原発運動が)佐賀で終わってはいけないと感じ、全国の人の力を借りようと思いました。それで、主人とインターネットなどを使って、原発に関する勉強会を探し、大阪の「美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(略称・美浜の会)」を知りました。勉強会が開かれる日にちも近かったですし、それに佐賀から日帰りできる大阪は魅力的でした。それで、勉強会に参加して、「佐賀ではプルサーマルが稼動しそうな状況です。どうか力を貸してください」とお願いしつつ、名刺を配って帰りました。
――しかし、残念ながらプルサーマルは現実になってしまいました。
石丸 当初、10年から稼動するとされていましたが、実際には前倒しされ、運転が開始したのは09年の12月でした。とくに、09年はMOX燃料が玄海原発へ搬入、装荷、営業運転開始と目まぐるしい状況に対応し、そのたびに九電や佐賀県、玄海町へ抗議し続けていきました。また、私たちだけでは困難な政府交渉も、全国の皆さんからのお誘いもあって、参加することができました。私たちは福岡をはじめ、全国の市民運動と交流しながら連帯し、何とかここまでやってくることができました。この会は、本当にごく普通の市民が集まった団体なのです。子どものために「原発はいらない」と行動していることが私の誇りでもあります。
――そして、住民投票の次なる手として訴訟に発展したわけですが、なぜ原発の運転差し止めではなくプルサーマル、つまり、MOX燃料の使用停止に絞ったのですか。
石丸 そもそも6年前の時点で、私たちの願いは原発の停止にありました。最初からそれが目的でしたが、3.11以前はMOX燃料に焦点を絞らないとまるで勝ち目がありませんでした。それに、原告団を集めるのも難しかったと思います。脱原発を訴えたくても、相手にまったく通じない。私は6年前にたまたま知るきっかけがあっただけで、私もそれまでは、そういった人々のひとりでした。これが3.11前の日本ということです。
▼関連リンク
・玄海原発プルサーマル裁判の会
※記事へのご意見はこちら