――3.11は人々の価値観を変えてしまうほどの出来事でした。やはりそれ以前は原告団を募るのも相当の苦労をされたのでしょうね。
石丸初美代表(以下、石丸) ええ。2010年2月に「玄海原発プルサーマル裁判原告団」を発足させ、玄海原発3号機の運転差し止めを求めました。そして、11年12月には、その訴えの変更を申し立て、3号機そのものの運転差し止めを求めました。また、同時に1号機、2号機、4号機の運転差止めの訴訟も起こしました。残り3基の訴訟に関しては1カ月という期間で原告団が全国からおよそ160名も集まりました。しかし、3号機の訴訟では、九州内から原告団を130名集めるのに8カ月もかかりました。現在なら、脱原発の必要性を理解してもらいやすくなりましたが、当時は本当に説明するのが大変で、10年の1月から地道に座談会をして、チラシを作って、挨拶周りをして、講演会をして、ポスティングして、議員さんや、会ってくれない古川知事に面会を求めて、さらに九電にかけあって...。ずっとこれを繰り返してきて今日に至っています。
――今回、玄海原発全基の運転差止めを求める訴訟を起こされました。今後の活動に関しては、どのような方針でしょうか。
石丸 12月25日に4号機が定期検査により停止したことで、ひとまず九電の原発6基は全て停止しました。しかし、この先、九州で原発再稼動が行われたら、それが全国に広まってしまうという危機感を常に抱いています。よって、今後も全国の脱原発団体と連携していこうと考えています。まずは、12年の5月に全国の原発全てを止めるのが目標です。そして、そのためにも、今回の訴訟のように先手、先手を打って再稼動を阻止していきたいと考えています。なんせ相手は巨大です。やれるだけのことを目一杯しないと勝てないという覚悟があります。そして、裁判は結果より「誰のため、何のためか」です。
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