<さとうベネック転売で、10億円の儲けか?>
ネクスト・キャピタル・パートナーズ(株)(以下、N社。【資料1】参照)が(株)さとうベネック(以下、S社)の株を売却したことは既報済みだ。以前、同社の新オーナーであるダイセンビルディング(株)(福岡市博多区)の大川義廣社長の激白も紹介した。
では、N社はS社の株を売却していくら儲けを得たのか。まず、結論から言えば、N社の本坊吉隆副社長の発言通りに15億円で売却していれば10億円の儲けになる。ただ、この会社がいくら儲けようとも関心はない。関心があるのはN社ビジネス(再生資本ファンドビジネス)の継続が今後、果たして可能か否かだけである。見通しとして持続することは困難であろう。
筆者はあるクライアントから次のような依頼を受けていた。このクライアントと2011年6月期のS社の決算書を眺めつつ、「S社を最大12億円で買いたいので、ぜひ交渉していただきたい」というオファーを頂戴した。【資料2】でうかがえるように、10年、11年両期の業績の回復は急伸している。だが業種は建設業だ。フロービジネスの最たる建設業が、将来にわたって好調な数字をあげられる保証はない。業態は不安定である。「12億の買い物は高いな」とうのが率直な感想であった。
さっそく、N社本社を訪問した。交渉の窓口は本坊副社長である。「副社長!!CROSS FMみたいにはいきませんぜ!!建設業は付加価値がありません。営業利益2.5億円(11年6月期)出したからその6年分(6×2.5億円=15億円)の価値があるという主張は成立しません。12億円が限度と思います。この金額で買うところがありますから、譲ってください」と、こちらの立場を提示した。
筆者は、本坊氏とは以前にも交渉したことがある。北九州の(株)エフエム九州が倒産して、この会社の受け皿として(株)CROSS FMを設立しN社が傘下に置いた。「CROSS FMを買いたい」という申し出があり、同氏に会ったのだ。この頃が一番、N社に案件が殺到していた時期のようである。同氏は「今期は4,000万円近い利益が出ますから、この6年分をかけた価値があります」と語った。「潰れた会社に2億4,000万円投資する奴の顔を拝みたい」と馬鹿らしくなり、議論せずに帰った。
「12億円ですか、とんでもない。私は価格15億円を最低ラインにして交渉しようと思っています」と本坊氏は余裕綽々だった。「S社という建設会社に15億円以上出す奇特な人がいるのでしょうか?」と尋ねてみた。「いやー、S社は素晴らしい会社です。もし再度、S社に対して資本ファンドを組成できることが許されたならばファンドを組みたいですね。もちろん、再組成は不可能ですが」と、えらい惚れこみのパフォーマンスを披露してくれた。「これまた風変わりな経営者の登場を待とうか」と、内心で笑ってN社を後にした。
その後S社を購入した新オーナー・大川義廣氏は、飲食ビルを主体にした家主業を営んでいる。計数には明るく1代で財を成した大川氏が、本坊氏の思惑通りに攻略されたとは考えられない。S社の株は転売できたのだが、N社は次への新しいビジネスの仕込みができていないのだ。
<変転の末、資本ファンドの経営者に>
N社の社長である立石寿雄氏は下関市出身、1958年4月23日生まれの現在53歳である。下関西高校から東京大学に入学し、東京銀行に入行した。本人の弁によれば「東京銀行と三菱銀行の合併がなければ今頃、まだ銀行に残っていたかもしれない」(旭陵同窓会より)。三菱銀行と東京銀行の合併以降には、金融機関の世界に激震が走った。大手銀行の倒産ラッシュや統合・合併である。先輩たちは生涯、バンカーとして務めあげたのだが、立石社長の世代前後は時代の流れに翻弄されていった。転職、もしくは事業を起こし経営者の道を選択した者たちが数多い。立石氏もその例に漏れない。
まずは、プライスウォーターハウスクーパース(株)(PWC)という外資コンサルティング会社に転職した。次に、PWCと東京銀行とのJ/Vとして設立されたフェニックス・キャピタル(株)で共同代表の1人として、リスクマネーを取り扱う金融ビジネスを会得したという。同社を1年で去ることは心苦しかったが、産業再生機構の設立が決定されていたタイミングでスカウトを受けた。そこで、同機構委員長の高木新二郎氏から薫陶を受け、事業再生という分野のエキスパートの地位を確立した。
そして、05年11月に産業再生機構を退職し、ついにN社の代表社長に就任したのである。金融機関、社会の全面的な転換時代だからこそ神が立石氏を起業の道へ導いたのであろう。
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(※資料はN社のHPから引用)
【資料1】
【資料2】
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