<おらほの汽車「三陸鉄道」>
5日、NPO法人この指とまれ大地(つち)の会(福岡市博多区、山本香代子理事長)は、チャリティーコンサートなどで集めた寄付金32万2,294円を東日本大震災で被災した岩手県の三陸鉄道(株)へ贈った。
大地の会は、三陸鉄道への寄付を目的として昨年(2011年)6月に第1回、今年(12年)1月に第2回目のチャリティーコンサートを開催した。同時に、企業・団体への寄付の呼びかけや、「少しずつでも継続することで被災地のことを忘れないでほしい」という想いから考案した『1日10円募金箱』の設置などを進め、さまざまな活動を通して支援を呼びかけてきた。
支援のきっかけは、会を設立した理事長の山本さんが、東日本大震災の被災地支援に心はやるなか、報道で三陸鉄道の存在を知ったことだ。山本さんはただちに岩手県へ向かった。
三陸鉄道は、地元住民の要望に応え、岩手県をはじめとする自治体が出資して設立した第三セクター(1983年開業)である。旧国鉄が不採算を理由に投げ出した路線を運行しており、そのため開業以来、苦しい経営が続いていた。
リアス式海岸の三陸海岸は、隣町同士が地形で隔たれ、車やバスでは移動に長時間かかる。それゆえ、直線で各駅を結び短時間で移動できる鉄道の存在は、通勤・通学、買い物、通院などで住民の暮らしに欠かせず、住民からは親しみを込めて「おらほの汽車」(私たちの汽車)と呼ばれている。
被災地を訪れた山本さんは、「私たちのまちの復興は私たちの手で行ないたい。だけど、復旧にお金がかかる鉄道だけはどうにもなりません」という被災地住民の訴えに心を打たれた。そして、震災発生の翌日(12日)という大混乱のなか、三陸鉄道のほぼすべての社員が出社し、線路を覆うガレキの撤去作業にあたったことを知った。
そうした被災地の人々の前向きな姿を知るにつれ、「助けたい」ではなく「この素晴らしい会社や人々の姿勢を守り、次世代に伝えたい」という想いが強まった。ほぼ身内だけで始めた支援活動だったが、その想いを訴え続けるうちに、賛同し協力する個人や企業が次々に現われた。
<若者たちの声ともに三陸へ>
山本さんの被災地支援は、若者たちの人材育成も目的としている。
現在、29歳の若さで大地の会事務局長を任されている本山貴春さんは、宮城県南三陸町に延べ約2カ月間滞在し、支援物資の配達や仮設住宅の改善、住民の話し相手になるなど、物心両面にわたるケアを行なった。第2回コンサートの会場では、南三陸町の仮設住宅の住民から寄せられた手作りの雑貨を販売した。
第2回目のコンサートは、若者たちの参加を促すことを考え、九州大学のアカペラサークル「HarmoQ(ハモキュー)」に依頼。司会は北九州大学の山本亜矢さん、宮沢賢治の詩「発動機船」の朗読を福岡大学の浦田彩さんが担当。まさに"若者が主役"と言える内容となった。山本さんは若者たちの活躍を見て、「NPOの活動を通して、人間的にもっと成長してほしい」と、さらなる期待を寄せている。
朗読された「発動機船」は、津波でホームが架橋とともに跡形もなく流された北リアス線・島越(しまのこし)駅の付近で、奇跡的に残っていた石碑に刻まれていた。この石碑は、三陸鉄道が開業を記念して1983年4月に建てられたもの。地元住民からは「復興のシンボルとして残すべき」との声があがっており、同詩の朗読は、被災地の人々の郷土愛を伝えるため、第2回コンサートのプログラムに盛り込まれた。
三陸鉄道総務部長の菊池吉則さんは、取材に対し「遠い九州・福岡でチャリティー活動を行なっていただき、社員一同、本当に感謝しています」とコメント。山本さんが寄付金とともに寄贈した応援メッセージが書かれた国旗などは、現在、宮古駅に掲示されているという。若者を含めてボランティアの輪が広がってほしいという山本さんの想いは"かたち"となって、若者たちの歌声や朗読とともに三陸へと伝わっている。
三陸鉄道は、昨年11月に成立した11年度第三次補正予算で約110億円の復旧費用が割り当てられ、現在、16年4月までの全線復旧を目指している。菊池さんによると、今年(12年)4月、北リアス線の陸中野田駅・田野畑駅間が運行を再開。残された同線の田野畑駅・小本駅間は16年4月、また、全線で運行を停止している南リアス線では、13年4月に盛駅・吉浜駅間、16年4月に吉浜駅・釜石間で運行を再開する計画が進んでいる。
▼関連リンク
・この指とまれ大地の会(HP)
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