<基礎固めを経て、表現力を磨く>
人が、地域に根ざしたバレエ教室に期待することは、できない子ができるようになることだ。プロ養成機関に入所する子は、まず厳しいオーディションを経て基礎能力や素質を見定められる。ふるい落とされればそれまでだ。しかし地域に根ざしたバレエ教室にはオーディションという関門はない。なかには三拍子のリズムが取れない子どもも訪れる。それでも、ふるいにかけられることはない。
それだけに、教室の子どもたちにはプロ養成所の指導と同じような態度で接さないように、気を配る。手加減はしない。その代わり、常にその子のレベルに合った指導が行なえるように考える。「この子が、昨日より少しでも上手になるためには、どんな助言を与えればいいか」と、レベルにばらつきがある子一人ひとりを見つめながら対応するのは大変だ。しかし、これが明日への礎になるのだから気が抜けない。
いくら体が硬くても、いくらリズムが取れなくても、できない理由を把握し解決することができれば昨日より良い動きができるようになる。たった1ミリの変化でもいい。積み重なれば1年後には、大きな成果をともなうようになる。基本的な訓練をしっかりと行なえば、数年後には体ができてくる。表現力を意識し始めるのは、この頃からだ。
子どもにはそれぞれ個性がある。おとなしい子もいれば、元気な子もいる。その個々の持ち味を引き出すためには、舞台で踊ることを体験させるのが1番良い。指導者と自分だけを見つめていればいい基礎固め時期は終わる。成長とともに子どもの行動範囲が徐々に広がっていくように、バレエの環境も広がっていく。スタジオと世間を隔てる壁は取り払われ、大きな舞台で自分を多くの観客の目に晒すことを意識する。今度は他者の目を意識することで、己を知ることを学ぶのだ。
例えば、内向的な子にキューピッドの役を与える。最初はもじもじしているが、そのうち、見様見真似で、キューピッドらしく体を動かすようになる。俯きがちだった子が、胸を張るようになる。寂しげな表情に笑みが生まれる。内気な子らしく恥ずかしげに恋人たちの間を駆け回ることもあるが、それはそれで、かわいいはにかみ屋さんのキューピッドの誕生だ。
役柄に合わせて体を動かしていくうちに、今までにない魅力を発揮し始めることは多い。「うちの子に、こんな一面があっただなんて」と家族が驚くこともある。舞台に立つことで、子どもたちのなかから潜在的な力が引き出されてくる。
<語れないものを表すために>
ところでバレエには、ストーリー性のあるクラシック・バレエと、ストーリー性のないシンフォニック・バレエがある。どちらを踊るにも、日常のなかで培った感情表現や感受性が必要だ。
ストーリー性のないシンフォニック・バレエとは、音楽を踊りで表現するバレエのこと。ストーリーがない、ということは、言葉による理解に頼れないということだ。それだけに感受性の鍛錬が非常に重要な鍵になる。
練習時は、「トロトロした動きを体で表現しましょう」などと、指示を与える。すると子どもたちの脳裏に、十人十色の"トロトロ"感が思い浮かぶ。母が焼いてくれたホットケーキに載せたバターが溶ける様子、暑い夏の日に浜辺で食べたソフトクリームの食感、犬小屋を塗るために、刷毛で掬い上げた先から流れ落ちる色鮮やかなペンキ、そしてまどろみに落ちるときの、なんとも形容し難い、あの感覚。一見何の変哲もないような出来事が、大きな意味を持って子どもたちの前に立ち上がるのは、この時だ。日常のなかに、表現力を豊かにするものがある、と子どもたちは気づく。
"あの時"の思い出が、美しいバレエを踊る糧になる。自分達を取り巻く世界に、何1つ無駄なものはない。そう知ることが、今後の子どもたちの生き方を、表現力豊であると同時に、しっかりと現実を見極められるものにしていく。
<プロフィール>
須貝 りさ(すがい りさ)
須貝りさクラシックバレエ PROAX主宰。1988年、深沢和子バレエ団(現バレエ団芸術座)93年帰福し、「須貝りさクラシックバレエ」設立県内各所のスタジオ・スポーツクラブなどでバレエ指導に携わりながらバレエ協会九州北支部、新国立劇場などの舞台に立つ。2000年、西区姪浜にスタジオを設立、後進の指導にあたるローザンヌ国際バレエコンクール主宰、指導者特別コース終了現在A・O・D・T会員バレエグループ「ひめの会」所属。01年「コッペリア」全幕、03年「くるみ割り人形」全幕、05年「ドン・キホーテ」全幕など、隔年ごとに古典作品を発表し続け、07年には「西区フィルハーモニーオーケストラ」・指揮 水﨑徹との「くるみ割り人形」全幕を発表し好評を得る。自身もそれらの作品や新進振付家によるコンテンポラリー作品などを踊るとともに、後進の育成にも力を入れている。
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