1月20日の役員会で代表取締役の提案があり、井澤信親氏が推薦された。投票により、賛成多数で井澤氏の代表取締役専務就任が決定した。このとき、中野茂常務も他薦で立候補し反対多数で逆に否決されたという。代表取締役の就任は即日開示する必要がある(怠れば商法違反の恐れ)が、深澤氏の判断で引き延ばされたという。
同25日14時開始の臨時取締役会の直前、「別途代表取締役をつけるとシンジケートローン決済がおりない」と昼前に、西シから有薗、濱田両氏に連絡があった。しかし実際は、それ以前に、すでにローンがおりていたのだ。これは「深澤さんが仕組んだ大芝居だった」とコメントするベストOBもいる。圧倒的多数で深澤氏は肝いりの人事をつかみたかった。井澤氏については、「彼は有薗派で経営改革に支障をきたす」と銀行側では受け止められていたようだ。
同29日10時からの常務会で、深澤氏は追及された。一部のベスト役員からも強い糾弾の声が上がったという。結局、深澤社長が財務を、井澤専務が営業をしていくということになったが、深澤氏はメーカーからのメリットが大きい営業本部長となるのを目論んでいたようだ。
一方、代表権を手中にした井澤氏は、営業現場主体の経営、取引先からの接待禁止などの方針を打ち出し、また営業本部長として現場社員にインタビューしてまわった。その結果、「九州以外はいったん撤退し、九州内で競合に勝つのが最善策」と井澤氏は考えた。しかし、有薗氏は自分をないがしろにする井澤氏の活動が面白くなかったのではないか、また、井澤氏も有薗氏に対する信頼という油断があったのではないか、と推測する関係者もいる。
経営改革の糸口を見つけるべく、井澤氏は外部の専門家にも相談していたようだ。そのなかの1つに、「西シの久保田勇夫頭取に直接ベストの経営の実態、実情を報告すべき」というアドバイスもあったという。
こうした経緯を経て、約2カ月後の3月20日、井澤氏は多数派工作によって解任させられる方向となった。この役員会の席上、「有薗さんが『井澤のバカが頭取宛てに"自分が社長になりたい"という手紙を出した』と発言していた」とも聞かれる。このことから、有薗氏が間接的に西シから手紙を受け取り、多数派工作を主導したとも見て取れる。実際に工作活動をしたのは、前社長の濱田氏だったと見る関係者もいる。
この件で井澤氏に取材を申し込んだところ、「ノーコメント」としながらも手紙を出したことは認め、「内容はベストの現状と深澤さんの経営手腕についてだった」という。
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