<危機こそ樺島氏の必然的な出番>
樺島氏は2002年10月、55歳で作州商事に入社した。38年のバンカー生活を送った同氏にしてみれば、この会社の社風は別世界のものに映ったであろう。「城戸氏にへつらう組織であれば、この人の存在がなくなればアウトになる。これは会社組織というものではないな。原理原則が貫かれる企業体につくりかえなくてはいけない。この会社に呼ばれた以上、改革をしよう」と、固く誓ったのではないか。
普通のバンカーOBたちは、第2就職先で平々凡々と嫌ごとを言わずに給料をもらうだけである。ところが、樺島氏は違っていた。城戸社長に問いただすところは、毅然と問いただした。城戸氏にしてみれば、作州商事の社長に就いて以降、正論を展開する幹部に遭遇したのは樺島氏が初めてであった。城戸氏も、最初はカチンときて口論していたようだ。ただ、冷静になってみると、樺島氏の意見は的確であった。経営改革論にも耳を傾けさせる内容だ。次第に、同氏を重宝するようになった。
樺島氏は03年に常務取締役、04年には専務取締役に抜擢されていった。そして、城戸氏が06年2月に逮捕された際には、樺島氏を社長に昇格させるしか選択の道はなかった。樺島氏は社長に就任する際、兄弟・親族に相談をしてみた。一族には商売人が少なかったこともあり、「『敏幸!!お前が他人様の会社のピンチの尻を拭くような、危ない橋をわたるな』という反対意見があった」と聞いたこともある。身内の反対意見を耳にしつつも、樺島氏は次のように決断した。「社員、取引先、お客さんのために、作州商事を正常化させよう。これが俺の天命だ」――と。今流の表現を借りれば、樺島敏幸という人物は『ブレナイ』男なのだ。
<邪心の無い人>
樺島氏に頭が下がることが1つある。城戸氏が逮捕されたときのことだ。「企業は公的存在だ。オーナー社長が逮捕された事態になってしまった。樺島社長!!現在の作州商事の企業価値は18億円前後だ。M&Aでして経営権も買い取ったらどうだろうか」と、経済情報誌「I・B」の誌面で提案したことがある。当方としては、騒ぎを大きくさせる狙いでキャンペーンを打ったのではない。不動産会社は行政認可団体だ。不動産業の認可を失えば、事業継続は不可能になる。だからこそ、「オーナーがいなくとも、樺島社長を先頭に組織が一丸となって、作州商事を健全化していただきたい」というモデルを願ったのである。18億円という金額は、オーナー一族へ払う対価と評価したのだ。
樺島新社長に多少の野望の念があれば、ドサクサまぎれに会社買い取りの資金集めに奔走していたかもしれない。あの局面では、同氏の厚い人望もあり、資金は容易に集まっていたであろう。こちらの期待に反して、樺島氏は逆の行動に踏み出した。「自分は非常事態を立て直す過度期の役割、会社を預かった者」と自己規定をして、信用回復に全身全霊を注ぎこんだ。経済用語を駆使すれば、「資本と経営の分離」を実践したのである。「経営を託されたのだから、素晴らしい内容にしてみせる」という使命を淡々と遂行していたのだ。そして、結果として下記のような内容ある業績を維持した。
この邪心の無い樺島社長の経営姿勢には、故・城戸辰徳氏の未亡人であり最大の株主である城戸章代氏(オーナー)が絶大な信頼を寄せている。「資本と経営」の理想な関係が保たれているからこそ、作州商事の再生が容易であったのだ。頭が下がると記述したが、樺島氏の無心さには、正直、兜を脱ぐ。邪心が無いからこそ、オーナー城戸章代氏だけでなく、社員たちも樺島社長に忠誠心を尽くしてきたのであろう。
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