<トップ交代劇の舞台裏>
ボスの指示で、米ヤフーとの詰めの交渉を行なったのが井上氏だった。96年1月、ソフトバンクと米ヤフーの合弁で、日本法人のヤフー(株)(英文名称はヤフー・ジャパン)が発足。井上氏が社長に就任した。走りながら考えるのを常とする孫氏は、「たまたま井上さんが横にいたから、ちょっとやってと頼んだだけ」と語っている。
成り行きで社長になったとはいえ、井上氏がヤフーを日本最大のネット企業に育てた功績は大きい。米国生まれのネットベンチャーは、それこそワンサカ日本にやってきたが、ほとんどが撤退に追い込まれた。ヤフーは、97年に店頭公開して大化けする。ネットバブルの2000年には、株価が1億円を突破。これでヤフーの知名度が高まった。
ネットバブル崩壊でピンチに立った孫氏は、ブロードバンド(高速通信)で勝負に出る。切り替えの早さが彼の真骨頂だ。有名になったヤフーの名前を使わない手はない。ヤフーBB(社名はソフトバンクBB)を始めた。これが、孫氏と井上氏の間にすき間風が吹くきっかけになった。
創業以来、ソフトバンクはインフラ(長期にわたって変化が少ないもの)、ヤフーはコンテンツ(インターネットで提供される情報の内容)という不文律があったが、ヤフーBBとヤフーの名前を冠してインフラに乗り出したことに、井上社長が反発したのだという。
こういったわだかまりがあるところに、スマホ時代を迎えた。ソフトバンクは米アップル社製のスマートフォン「アイフォーン」で快走。だが、ヤフーのトップが携帯電話をカバンのなかに入れっぱなしで、発信専用になっていれば、両者の間がギクシャクするのも無理はなかった。ヤフーのトップ交代劇は、パソコンからスマホへの流れを加速させるのが、孫氏の狙いと見て間違いはないだろう。
<米ヤフーが保有する34%の株式の行方>
今、ヤフーは経営の根幹が揺らいでいる。創業以来、ソフトバンクと米ヤフーの合弁事業できた。出資比率は、ソフトバンクが35.45%、米ヤフーが34.75%(11年9月30日現在)。だが、経営が悪化した米ヤフーは、日本のヤフーの株式を売却することになった。
米ヤフーは、一時、時代の寵児ともてはやされたが、今では数あるインターネットサイトの1つに過ぎなくなった。米ヤフーは、指針のズレとトップ交代劇で痛手を被った。ポータル(インターネットの入り口)からインターネット検索へ、そこからメディアサイト(ニュースを表示するサイト)へと次々と重点を移していったが、米グーグルのような技術力を付け損ない、時代の要請に応えられなくなった。そのため、収益を支えてきたネット広告事業でライバルのグーグルや、SNS世界最大手、米フェイスブックにシェアを奪われ、業績が悪化。昨年9月、CEO(経営最高責任者)が解任されて、経営が混乱した。
今年1月、共同創業者のジェリー・ヤン氏は、米ヤフーの取締役を辞任。日本のヤフー取締役も即日辞任した。この間、日本のヤフー株式はソフトバンクに売る方向で昨年から交渉を重ねてきたが、米ヤフーの経営陣の交代で、仕切り直しになった。
日本のヤフーはネット検索市場でシェア1位を堅持。買い手はいくらでもいる。米ヤフーの新経営陣にとって、高値で売れるのであればどこでもよいわけで、ソフトバンクにこだわらない。米ヤフーが保有している34.75%のヤフー株式が、誰の手にわたるか――。日本のネット業界は、固唾を呑んで見守っているのである。
COMPANY INFORMATION
ヤフー(株)
代 表:井上 雅博
所在地:東京都港区赤坂9-7-1
設 立:1996年1月
資本金:79億4,200万円
売上高:(11/3連結)2,924億2,300万円
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