ここ数年、ニートや引きこもりの長期化を背景にしたと思われる事件が多発している。2011年2月に福岡県八女市で30代の無職男性が暴れていると家族から通報を受け、警察官が保護した直後に死亡したという事件が全国ニュースになった。社会の底辺に置かれている現実に苛立ちを感じてか、自暴自棄に走ることも少なくない。
今回、福岡市を中心に若い世代の生活保護受給者を取材していくなかで、無職の40代男性と出会った。男性は、大分県出身。5年前まで派遣で警備員の仕事をしていたという。帰宅途中の交通事故で仕事ができなくなり、そのまま解雇され、それ以降、定職についていない。生活は、毎月実家からの仕送りで食いつないでいるという。40代ともなれば、管理職に就いていても不思議ではない年齢だ。同世代の多くが結婚し、その子供も中高校生になっているだろう。将来に不安はないのか尋ねると「社会とつながりたい。居場所がほしい」という答えが返ってきた。
そこで「ハローワークへ行ってみてはどうですか。私も一緒についていきますよ」と誘ったが、「いや...行っても何もできませんから」とためらう。ずいぶん説得もしたが、「私には私の考えがある」と頑なに拒否し続けた。じつは男性も、一度は職業訓練校に通いコンピュータ関連の資格取得の勉強に励んだ時期があった。ハローワークにも登録はしている。ではなぜ、ハローワークへ行くことができないのか。男性に話を聴くと、どうやら事故当時のトラウマから抜け出せないようだ。
無縁社会が広がりつつあるといわれるなか、彼のように社会的に孤立した、それに近い状況の人が増えつつある。しかも、定義上35歳以上はニートとされないために、支援策などは講じられておらず、家族に扶養されているニートの場合、扶養者である家族の高齢化や近親者の死去などで、その後の生計手段を失えば、生活保護受給へとなだれ込むのは必然になる。
国もこうした状況に対し、手をこまねいているわけではない。40歳以下の若者に対しては、就労対策として従来のハローワークに加え、ジョブカフェを設置している。これは、2003年に政府が策定した「若者自立・挑戦プラン」の中核的施策に位置付けられ、04年度から全国に開設されている。福岡県では、福岡市中央区天神のエルガーラオフィスに、20代向けの若者しごとサポートセンター、30代には30代チャレンジ応援センターを設置しており、(社)福岡県雇用対策協会によると年間に延べ5万人が利用している。両センターでは、若年者の能力向上・就職促進を目的に、職場体験や職業紹介、営業職・販売職についてのセミナー、経営者による講話などの事業が行われている。2011年度は両センターを通じて3,000人を超える若者が就職している。
右肩上がりの経済成長をしてきた時代と違い、正社員として就職できない若者が大勢いる。それを「自己責任」と呼ぶのは簡単である。一部の政治家や評論家が、若者が就職できない、あるいは非正規雇用におかれていることを冷たく切り捨てる言葉を吐く。すべてを若者の怠慢で片付けるのは、間違いだろう。だが、まったく当人の責任はないのか。『子どもを壊す親たち』(WAC)などの著書があり、不登校・ニート問題の第一人者でもある一般社団法人日本家庭教育再生機構の長田百合子理事長は「教育や家庭の場に弁護士や心療内科が入り込んできて、教育の論理を破壊している」として、たとえば、万引きさえ叱ってはいけない。万引きにも背景があると心理学の観点から対応しようとするおかしさを指摘する。このような風潮が広がったのは、最近始まったことではなく、「敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が、日本弱体化の占領政策として個人重視の教育制度をつくり、独立後も日教組など左翼勢力主導で進められた戦後教育のなかで人権が過度に重視されてきた」ことが問題の背景にあるという。戦後盛り上がった人権・労働運動は、国民の問題意識を高めた面はあるが、過度な権利意識を強めた弊害もある。生活保護と親に依存して自立しないニート問題に共通するのは、依存度とともに強い権利意識である。長田氏の指摘のように、戦後、権利は主張しても義務は果たさない風潮が作られたことと関係があるのではないか。貰えるものは貰って当然だという意識がありはしないだろうか。生活保護に対する批判はそのことへの嫌悪感があるように思える。福沢諭吉が「一身独立して一国独立す」と『学問のススメ』でいっているが、国家(市民社会)の独立、自立は、まずは一人ひとりの独立心からである。いくら就業対策を国が進めても最終的には、自分自身の努力と意思にかかっており、「誰かがなんとかしてくれる」という甘えを捨てるところからしか始まらないのではないだろうか。
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