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経済小説

「維新銀行」~第一部 夜明け前(5)
経済小説
2012年3月28日 13:50

<第一章 維新銀行の沿革(5)>
 実際はこの時、渡辺銀行は資金繰りに成功して辛くも破綻を免れていたが、この片岡大蔵大臣の発言を受け依然危機的経営状況を脱していない東京渡辺銀行の首脳陣は、責任転嫁できるとばかりに、翌日から姉妹行のあかぢ貯蓄銀行と同時に休業することを決定。その後共に経営破綻している。
 これが金融恐慌の幕開けとなり、これを機に取り付け騒ぎが発生。連鎖的に中井銀行、左右田銀行、八十四銀行、中沢銀行、村井銀行が休業を余儀なくされ、日銀が非常貸出を実施することになった。片岡大蔵大臣に対する問責決議案で国会は紛糾し乱闘騒ぎにまで発展した。
維新銀行 1927年(昭和2年)3月14日の片岡大臣の発言を受けて、台湾銀行と鈴木商店との癒着が明らかになったため、3月18日、台湾銀行は内地支店を休業。続いて台湾銀行は3月27日、鈴木商店へ新規融資の打ち切りを通告。
 鈴木商店の系列化にあった鳥取発祥の第六十五銀行も鈴木商店を支える体力はなく、ついに鈴木商店は資金調達が不能となり、4月5日に事業停止・清算に追い込まれた。
 鈴木商店が倒産する前日の4月4日に、第六十五銀行は鈴木商店との絶縁を宣言したが、鈴木商店倒産のあおりを受けて、4月8日から一カ月あまりにわたり営業休止に追い込まれることに
なった。しかし第六十五銀行は何とか倒産を免れて翌年10月に、神戸銀行(現在の三井住友銀行)の源流となる神戸岡崎銀行に営業譲渡のうえ清算されている。
 国会が紛糾する中、3月30日に銀行法が成立し、即日公布(翌年1月1日施行)されることになったものの、鈴木商店とその関連会社に融資していた百六十銀行も再度取り付け騒ぎに巻き込まれることになった。
 そのため百六十銀行は、地元の新聞各紙に特別広告を出して、「親銀行である三星銀行が絶対的に面倒を見ることになっているし、親銀行の三星銀行も百六十銀行を絶対的に支援する」旨の急告を両銀行名で掲載し、何とか取り付け騒ぎを収めることに成功したが、鈴木商店やその関連企業への融資が焦げ付き、その処理に多大の損失と時間を要した。
 一方業績悪化に陥った台湾銀行を救済するための救済緊急勅令案が、枢密院に提出されたが却下され、若槻内閣は総辞職に追い込まれる。若槻内閣の後を継いだ田中義一内閣は、事態を終息させるべく、4月22日にとりあえず銀行を2日間臨時休業させることとしたほか、日本銀行による応急の貸し付けを実施するとともに、3週間のモラトリアム(支払猶予)を公布した。これを契機として、昭和の金融恐慌はようやく鎮静化していくことになる。

【北山 譲】

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 「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」


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