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経済小説

「維新銀行」~第一部 夜明け前(8)
経済小説
2012年4月 2日 13:49

<第二章  維新銀行の誕生(2)>

絹田頭取の誕生

 一方、三星銀行も大蔵省より都内に本店のある大手銀行との合併を要請されており、新たに発足する維新銀行まで面倒を見るだけの余裕はないという事情があった。
 大蔵省は三星銀行が大手銀行と合併することを条件に、維新銀行が御堂銀行の系列になることを認め、三星銀行が保有する百六十銀行の株式は御堂銀行に譲渡されて、三星銀行は維新銀行の経営から完全に手を引くことになった。

「維新」の名を世に広めた水戸藩士 藤田東湖 大蔵省の思惑通り1944年(昭和19年)3月、百六十銀行を存続銀行として、西部県内に本店を構える地方銀行6行が対等合併して維新銀行が誕生した。
 新銀行名を「維新銀行」とすることについては、6行とも異論はなかった。倒幕に多大な貢献をした大内藩の志士達は明治維新の立役者であり、後世にその功績を讃える「維新銀行」と決まったことと同時に、同じ郷土の6行が合併し、新しい銀行として生まれ変わっていくにふさわしい行名であると満足の意を示した。

 『維新』は変革を意味しており、和訓では「これあらた」と読まれる。
 維新の名が日本国内で登場したのは、1779年(安永8年)、平戸藩主の松浦清(松浦静山)が藩校を設立した際に、校名を「維新館」としている。幕府から「維新とは倒幕の意思ありか」と問責されたが、その後も校名は変更しなかったと記されている。
 しかし維新の名は、水戸の藩士である藤田東湖が1830年(天保元年)、藩政改革への決意を述べる際に、詩経の「大雅・文王編」の一節である「周雖旧邦 其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」を引用したことが、世に広まるきっかけとなったとされている。
 日本の国政を抜本的に変えることを目的に設立された、橋下徹大阪市長を代表とする政治集団「大阪維新の会」も、また、明治維新の立役者でもあった坂本竜馬が起草したとされる「船中八策」を参考にして掲げた政策「維新版・船中八策」の名も、これに由来している。

 新設された維新銀行の会長には、三星銀行から派遣され百六十銀行の頭取であった武藤利文が就き、初代頭取には、御堂銀行から派遣され百六十銀行の副頭取となっていた渡辺謙二郎氏が就任した。三星銀行から御堂銀行系列へ移行した維新銀行のトップ交代で、三星銀行出身の武藤利文氏を会長にしたことは、今まで百六十銀行の支援を続けていた三星銀行に敬意を払う穏当な人事であった。

【北山 譲】

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 「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」


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