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経済小説

「維新銀行」~第一部 夜明け前(9)
経済小説
2012年4月 3日 10:00

<第二章  維新銀行の誕生(3)>

絹田頭取時代

 常務取締役には同じく御堂銀行から百六十銀行に派遣されていた絹田秀作常務が横滑りして、維新銀行の経営は御堂銀行の出身者に委ねられた。
維新銀行が誕生した5年後の1949年(昭和24年)、会長の武藤利文氏は退任。渡辺頭取が会長に就き、次期頭取含みで御堂銀行から派遣されていた常務取締役の絹田秀作氏が頭取に就任し、維新銀行は名実ともに御堂銀行系列の銀行となった。

 絹田頭取が誕生した翌年の1950年(昭和25年)6月25日、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が朝鮮半島の主権を巡り、朝鮮戦争が勃発した。
 戦争は米軍を主体とする連合軍と北朝鮮を支援する中国軍・北朝鮮軍との、国境38度線を巡る一進一退の攻防は、1953年7月27日の休戦まで3年間続いた。

長崎の鐘 戦後の混乱した日本経済は、この朝鮮戦争特需により高度経済成長のきっかけを掴むことになった。在日米軍からの膨大な物資の調達や輸送及び艦船の修理などの特需により、日本の企業は戦後復興への道程を確かなものとしていく。そのなかでも本州の西端に位置する西部県、特に海峡市は海を挟んで朝鮮半島に面しており、兵站の最前線基地として活況を呈した。

 海峡市が朝鮮戦争で、連合軍の兵站基地として繁栄することが出来たのは、米軍による原爆投下を辛くも免れたことであった。
 海峡市は大陸への玄関口として、また本州と九州の物資や人員を輸送する大動脈の海底トンネルがあることから交通の要衝であり、また対岸の北部九州は軍都の一つ、小倉陸軍造兵廠を中心として、日本製鐵所や小倉製鉄所などの軍需産業が展開する日本有数の工業地帯であった。

 戦争の終結を急ぐ米軍は、1945年8月6日の広島への原爆投下に次いで8月9日、爆撃機は小倉陸軍造兵廠を投下目標としてマリアナ諸島にあるテニアン島を出撃したが、小倉上空は視界が悪く、3度の爆撃工程に失敗したため、予定を変更し、第二の爆撃目標である長崎市に原子爆弾を投下した。

 再度原爆投下の第一目標地点であった小倉陸軍造兵廠のある北部九州は、8月15日に終戦迎えたため原爆投下の悲劇を免れた。もし原子爆弾が投下されていたら、北部九州は勿論、対岸の海峡市も壊滅的な打撃を受けることになり、5年後に勃発した朝鮮戦争の兵站基地としての繁栄は築けなかったし、海峡市に本店のある維新銀行も甚大な損害を受け、その歴史は大きく替わっていたかもしれない。

【北山 譲】

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 「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」


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