<第三章 植木頭取時代>
不祥事件の発覚(2)
当時としては空前の金融不祥事として新聞各紙に報道され、維新銀行の本店出入り口や、頭取の自宅にも新聞記者が張り込んでいたため、植木頭取は親しい役員の家に一時身を隠さざるを得ない状況であった。また乾広太郎副頭取が国会に呼ばれるなど、維新銀行の歴史の中でも類を見ない大事件となった。
大蔵省はこの金融不祥事を口実に、維新銀行に人材を送り込む好機と積極的に動いていた。一方維新銀行首脳は、海峡市を地盤とする保守党所属の森隆雅衆議院議員を頼って、天下り人事を何とか食い止めようと躍起になっていた。
森隆雅議員は東大を卒業後、朝鮮戦争が勃発した1950年(昭和25年)4月に大蔵省に入省。69年(昭和44年)3月に大蔵省を課長で退官し、同年末の第32回衆議院選挙に保守党公認で立候補して当選している。保守党内でも若手有力議員の一人として頭角を現わし、後に国際金融の政策通としての手腕を買われ、大蔵大臣になった人物である。
丁度事件が発覚した時に、森隆雅議員が大蔵政務次官であったことが維新銀行に幸いした。また森議員が所属する派閥の領袖は、総理大臣時代にアメリカの航空会社から秘書が賄賂を受け取ったとして受託収賄罪で逮捕された。日本の政財界を揺るがす大スキャンダルとなったが、保守党内ではキングメーカーとして隠然たる勢力を保持しており、また大蔵省にも絶大な影響力を有していた。大蔵省もキングメーカーの派閥に属する森大蔵次官の意向を受けて、維新銀行への天下りを諦めることになった。
維新銀行は森議員の水面下の活動により、何とか官僚の天下りを阻止することができたが、後々森議員の一族が経営する企業の面倒を見ることになる。
しかし一部の大蔵省幹部の中には、維新銀行への人材派遣を唱える意見が燻ぶっているのを知った維新銀行首脳は、大蔵省の人事介入に終止符を打つための布石として、この事件に対する行内処分を発表した。
絹田取締役会長が代表権を返上のうえ取締役相談役へ、また筆頭専務がその責任を取って辞任する。頭取就任から5年の植木頭取は引き続き留任することで不祥事の決着を図る人事を決定した。先手を打って首脳人事の更迭を発表したことが奏功して、大蔵省内の一部にあった維新銀行への天下りを阻止することに成功した。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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