<第三章 植木頭取時代>
長期政権の弊害(1)
事件後行内のムードは委縮していたが、日本経済の成長とともに、維新銀行も安定した業績を続けたことから権力基盤は揺るぎないものになった。
反面長期政権の弊害によるワンマン体制の綻びも露呈し始めた。行内においても取引先に対しても歯に衣を着せぬ絶対君主的な言動が目立つようになり、畏怖されることが多くなった。
それを裏付ける植木頭取のエピソードがある。定期証書偽造事件で国会に呼ばれた乾副頭でも例外ではない。乾副頭取は出張先から銀行に戻る際、海峡駅構内の駅食で立ち食いそばを食べていた姿を、たまたま通りかかった植木頭取に目撃された。植木頭取と目があった瞬間、 ヒヤッとしたが、目礼してその場はやり過ごした。そばを食べ終わって海峡駅から歩いて5分の維新銀行の本店の役員室に戻った乾副頭取は、秘書室長から至急頭取室に行くように伝えられた。
乾副頭取は何事かと思いめぐらしながら頭取室の戸をノックして入室した。植木頭取の前に立った途端、『人通りの多い駅で、立ち食いそばを食べるとは何事か。君は卑しくも維新銀行の副頭取ではないか。銀行員としての気品に欠ける』と、烈火のごとく植木頭取に叱られている。
また役員同士の昼食会でカレーライスが出た。居並ぶ役員は静かに口に運んでいたが、佐藤専務はカレーとご飯を合わせて口に運ぶたびに、スプーンを皿に当て、カシャカシャと音を立てる食べ方をしていた。最初は手を止めて不機嫌な顔でじっと見ていたが、乾専務が食べ終わるまでそれを繰り返したのを見て、植木頭取は、俄かに大きな声で『佐藤専務、人前で卑しい食べ方をするものじゃない。』と一喝している。代表取締役頭取の威厳と尊厳は、同じ役員であっても他を圧倒する強力な力を有していた。
植木頭取のエピソードは続く。地方銀行の研修所は現在三鷹市にあるが、当時は東京千代田区の内神田町の地方銀行会館で研修が行われていた。維新銀行は行員の研修には前向きで、毎年数十人が上京して研修を受ける教育システムを取っていた。新入行員研修や渉外担当研修など若手行員を育成する講座は沢山あるが、銀行員にとって最初の難関である支店長代理研修、いわゆる「代理研修」がある。一般行員から中堅行員として認められる地銀協のこの研修に事前に参加すれば、近いうちに維新銀行内で支店長代理や課長代理に登用されるという大事な研修である。
当時その研修は1カ月間の日程で実施されていた。そのため地銀協の会議に出席するため上京する植木頭取の日程に合わせ、研修生との面談が組まれる。研修生にとっては頭取と直接会って話をする絶好の機会でもあった。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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