<現代の『電力王』を狙うソフトバンク・孫氏>
『電力王』『電力の鬼』などと呼ばれた傑物として、『松永安左エ門』氏が有名だ。おそらく長崎県壱岐の島出身のなかで、もっとも著名な人物であろう。同氏は1875(明治8)年生まれ、慶応義塾を中退して実業界に転ずる。福岡においては、明治の終わりから大正の初めにかけて、西日本鉄道、九州電力、西部ガスの前身の会社設立に加わっている。戦後、マッカーサー支配体制に逆らって、現在の全国『九電力』民間企業の体制づくりに奔走した。最後の『政商』とも呼ばれ、『電力の安定供給こそが国家飛躍の要』という"国士的使命感"に燃えた大物であった。
この松永氏のように、当初の九電力の経営者たちには、「国を守る」志を抱く逸材も多少はいた。だが、今や、腐ったサラリーマン根性丸出しの俗物経営者が蔓延(はびこ)っている。既得権を守ることに汲々としており、我がことしか考えない輩であることは、東電経営者たちがすべて立証してくれた。
そこに、ニューウェーブの担い手が現れた。東日本大震災で100億円を寄付したソフトバンクの孫正義氏である(100億円の寄付の実行はなされたと思うが――)。『現代通信王』の地位は確保したとの評価を定めて良かろう。次の孫氏の照準は、再生エネルギーを活用した『電力王』である。太陽光ソーラーの世界的なネットワーク構想を打ち上げている。
そして孫氏のほかにもう1人、この福岡で虎視眈々と『電力王』の座を狙っているのが、新地哲己氏である。
<絶え間ない『変化』を求める>
芝浦グループホールディングス(株)会長の新地哲己氏は、1953年4月生まれ。4月6日で59歳になった。電気技術者として就職したが、77年10月に24歳で独立。法人化(芝浦特機(株))したのは84年8月だ。
もともと、使われの身に満足するような人ではない。同氏の脳裏では、「あの最先端の技術とこの技術とを組み合わせてみれば、どうなるかな?」と、思考の連続が繰り返されていた。もちろん、独りよがりの考えではない。絶えずお客からの宿題が課せられていた。その解決策を、必死で探し求めていたのである。
その解決策が、前述した、"世の中に送り出されている技術工法や製品のコンビネーション"の駆使である。町の発明家とは立場が違う。ただ、組み合わせの塩梅で、画期的な商品やシステムを数多く開発した。
そこで太陽光ソーラーを知ったのは、10年前になる。シャープに声をかけられ、新地会長自らも、そして社員たちも勉強会に通った。新地会長の真骨頂は、この勉強会から独自の構想を練り上げることだ。そこで、マンションに太陽パネルを搭載するシステムを開発した。しかし、北九州の家主に提案したが、拒否された。「それならば、自分で家主になってパネルを搭載し、アパート経営にプラスを与えることを実証してみせる」と決意した。実績を示せば、家主たちは「我も、我も」と注文を殺到するようになったのである。
そして2011年3月11日の福島原発での大惨事。この地獄の様を目撃した新地会長は、「太陽光ソーラーで再生自然エネルギーを供給するのが、己の最後の使命だ」と直感的に悟った。方向が明示されれば、同氏の行動は素早い。メガソーラー(大規模太陽光発電所)建設ビジネスに注力し始めたのである。
「時代は絶えず変わる。時代の変化に技術も絶えず進化する。我々中小企業は、立ち止まったら終わりになる」――新地会長は、この座右の銘を片時も忘れない。
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