<ファンドバブル崩壊の序曲>
3月の時点では、まだファンドバブル崩壊はその序曲を迎えているに過ぎなかった。
DKホールディングスでも、2棟ほど決済期限を迎えたビルの売却が遅れていただけだ。仕入れた物件の商品化が遅れているのは気がかりだったが、それは改正された建築基準法の問題だった。工期が延びるのは資金繰り的に懸念される材料だったが、あわてて工程管理を徹底したため、この数年間で積み上げてきた内部留保のおかげで向こう1年の資金繰りはいけそうだった。
一方で、上場会社の管理という面では、2008年は困難な年度になりそうだった。
すなわち棚卸資産の時価評価や本格的な四半期決算の導入に加え、J-SOXの適用初年度という簡単には超えがたいハードルが待っていた。この時点では、私も会社が倒産までいくなどと考えてもいないので、今後も当社が上場会社としてふるまっていくうえで、これらの課題を当期の最優先事項と考えていた。
私は、さっそく黒田社長の意を受けて08年度の新組織図について考えをまとめ、今回部長への昇格の内示を受けた総務課長の田辺氏と打ち合わせに入った。
ポイントはいくつかあった。
岩倉専務の社長就任にともない、現在営業担当の伊崎常務を副社長にするのか専務にするのか、本部制を敷くのか、これまでどおり、社長の下は部長とし、取締役には担当部門を与えるだけにするか。取締役建築部長から常務に昇格となる中井さんの肩書をどうするか、など、黒田社長が決意した役員の昇格および委嘱変更にともなって、他に決めるべきことは山ほどあった。
「・・・・・というのが社長の意図ですので、これを基本に、組織と関連の異動を提案しなければなりません。どうですか」。
私は、本社内の小さな会議室で社長との打合せの要点を田辺課長に報告し、意見を求めた。
お調子者の総務課長はハトが豆鉄砲をくらったような目をしていった。
「それはなんぼなんでも岩倉専務はかわいそうですよ。それでなくとも営業の社員には岩倉派と伊崎派があるようですし、岩倉専務に組織全体を動かしきれるんですか。もしかしたら専務は社長就任を断るんじゃないですか」と、田辺課長。
この人も、入社して4年くらいを経過し、総務課長として社内を締める立場ゆえ社内からの評判はあまりよくなかったが、それでも社内の派閥といった事情には詳しくなっていた。そういう派閥などの私情的な面は、私はあえて考慮しないことを信念としていたが、課長はそこをフォローしてくれていたのだ。よく人の話を聞く部下を置いていたこともよかった。
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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