「本人が受けられないなら仕方がなく、黒田社長もあきらめるでしょうけど、本人は受けますよ。だって、岩倉専務が黒田社長に反抗するのはこれまで見たことがないですから」と、私。「新たにできる会長職というポストも、何だか上がり感がありますよ。今、創業者が手を引こうとしているように見られたら、銀行が不安を感じたりしませんか」と、田辺課長。
私もこの点は同様に考えていた。毎年公表する有価証券報告書には、当社の経営上のリスクのひとつとして、当社の創業経営者である黒田社長に依存する度合いが強い旨開示していた。この点では大半の新興企業は似たり寄ったりであろう。そういう黒田社長が会長に退く、ということで周囲に不安を与えなければいいが、ということは誰しも懸念することである。
「たしかに。それでは、主要な銀行だけは先に社長から相談にいってもらいまいしょう。あと、単に会長ということでは、第一線から引いてしまうイメージが残るから、ここはCEOとCOOという用語を使って、あくまでも最終的な経営責任は黒田新会長にある、という点をはっきりさせる、ということでどうでしょうかね。これはぼくから社長に提案します」と、私。
「伊崎常務はどうしますか。常務のままというわけにはいかないでしょう」と、田辺課長。
総務部長として一番気を使うのがこのあたりである。岩倉専務と伊崎常務は年齢も近く、黒田社長も、両者の良い点悪い点を踏まえ、それでも両者がやる気を持って事に当たるよう、これまでこの二人を事実上横並びで処遇してきた。だから、岩倉専務を社長に昇格するならば、伊崎常務にも何らかのランクアップを考えなければならない、と私は思った。
「悩ましいですねえ。あの人は、人はいいし営業マンとしてはピカイチだけど、副社長として全社を引っ張るだけの力量はまだないように思います。しかし、かといって、岩倉専務が昇格して伊崎常務はそのままというのは甚だバランスを欠くので、今回は専務営業本部長ということで提案しようと思います」と、私。
「中井さんは?」と、田辺課長。中井さんは取締役建築部長で、私と同時に常務となる人だ。
「あの人は、自部署のことはしっかりしているけれども現状は経営という視点は今ひとつ満足できない面があります。今後の課題として建築工事だけではなくて、不動産管理事業の収益性の問題とか、会社全体の取引先政策というような、もう少し上のレベルの仕事をするように意識をもっていただく必要がありますね。真面目な人なので、従来の建築部長だけではなく、常務昇格に併せて、伊崎専務営業本部長を補佐する副本部長として位置づけて、今後は工事の品質だけではなくて収益性の責任も持ってもらうようにしましょう」と、私。
田辺課長は、わが意を得たりという顔をしていった。
「じゃ、これで組織図を作ります。それと登記関係は早速司法書士に連絡して動きます。」
「お願いします。ぼくは、新組織図の了承を得たら、取締役会承認と適時開示の準備をします。あ、そうそう、田辺課長はすでに黒田社長から昇格の内示を受けましたか?」
「はい、おかげさまで」。クールな人だが、昇格の話にはまんざらではないようだ。
「そうですか。それはよかった。今年はしんどい年になりそうですが、お互い頑張りましょう」。そういって打ち合わせを終えた。
組織図と肩書を固め、適時開示リリースを作るまで、調整を含めて2~3日かかったと思う。そうしたのちに臨時取締役会の決議を行ない、同日にリリースが公表されるよう手配した。
こうして、私は上場会社の常務となった。
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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