<発射失敗を想定せず>
北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射(4月13日)に関する国民への発表の遅れについて、政府の検証チームは、同月26日、今回のような発射直後に失敗したケースを首相官邸と防衛省が想定していなかったことを認める報告書を発表した。
加えて、藤村修官房長官と田中直紀防衛相との間の意思統一不足が混乱を助長したことも明らかになり、政権中枢の危機対応の「お粗末さ」が改めて浮き彫りになった。
危機管理の基本は、国民に危機情報をいち早く知らせ、的確な措置をとることにある。しかし民主党政権(野田政権)は、それとは逆の対応をとったのである。
まさに、危機管理のイロハを知らない危機管理"無能"政権そのものだ。
<菅直人政権の鈍感ぶり>
民主党政権の危機管理意識の低さは、今に始まったわけではない。
平成22年(2010)11月23日、北朝鮮軍による韓国・延坪島への砲撃事件が起こった際も同様であった。この事件は日本の領土が直接攻撃されたわけではないが、日本の目と鼻の先で起きた出来事である。当然、周辺事態法が発令されてもおかしくなく、安全保障会議が招集されるべきであった。
菅直人首相は砲撃開始から約1時間後に第一報を聞きながら、直ちに首相官邸に入るどころか、首相公邸で『仙谷由人官房長官に対する問責決議案』への対応を巡って、民主党の斎藤勁国対委員長代理との会談を優先したのである。そのため首相官邸には、約70 分も政治家が不在の状態が続いた。
仙谷官房長官が首相官邸に入ったのは、砲撃開始から2時間半が過ぎてからであった。「携帯電話が繋がらなかった」という釈明をしたが、首相官邸の危機管理の責任者でありながら、携帯電話が繋がらないような場所に居たこと自体が問題である。
岡崎トミ子国家公安委員長は警察庁に一度も登庁せず、北沢俊美防衛相も、防衛省に登庁する気さえなかったという後日談があるが、開いた口が塞がらない。
菅首相以下、危機管理に関係する閣僚のとった行動は他人事そのものである。結局、関係閣僚会議が開催されたのは、砲撃開始から実に6時間半以上を過ぎてからというお粗末さであった。
そもそも北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃事件は、日本の安全保障上の危機であると捉えるべきではなかったのか。一部の新聞は、菅政権の初動対応を皮肉って、『鈍菅内閣』と書くところもあったが、この言葉は大袈裟ではなく、真の姿を物語る的確な表現と言えるだろう。
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<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、テイケイ株式会社常務取締役、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。今年3月31日付でテイケイ株式会社を退職し、日本防災士機構認証研修機関の株式会社防災士研修センター常務取締役に就任した。『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)などの著書のほかに、安全保障、領土・領海問題、日本の城郭についての論文多数。 公式HPはコチラ。
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