<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(7)
一方7月1日付で維新銀行に入行した谷本亮二は総務部人事課に配属され、27歳の若さで総務課長代理として組合対策の責任者に任命された。部下は若手の男子行員1名と、ベテランの女子行員1名であったが、直属の上司は取締役総務部長であり、絹田頭取とも直接面談できる特別なポストであった。
谷本は福岡銀行従組が非営業部門の本部で無期限ストに入った7月8日(水)、福岡銀行本店に足を運んだ。本店の出入り口は物々しい警備が敷かれ、重苦しい雰囲気に包まれていた。銀行がストに入るという空前の出来事を目の当たりにして、谷本は自分の置かれている責任の重さを認識せずにはいられなかった。維新銀行福岡支店に戻り、支店長から福岡銀行の従業員組合(従組)の詳細な情報を得ることに余念がなかった。
夕刻、谷本は維新銀行福岡支店の男子行員数名と会合し、福岡銀行のストについてどのような考えを持っているかを聞いた。そのなかで、
「今まで福岡銀行の取引先の肩代わりを提案してもなかなか食い込めませんでしたが、今回の争議で新規開拓ができるようになるのでチャンスです」
という意見が出た一方で、ある行員からは
「組合との窓口である担当者が組合幹部と信頼関係を築いた上で、トップに対して組合の考えを適格に報告しておれば、この様な事態にはならなかったと思います。要は組合と窓口担当者との信頼関係、窓口担当者と経営トップとの意思疎通がなかったことだと思います」
などの意見も出た。
福岡に宿泊することを決めた谷本は、福岡支店の近くにある居酒屋に男子行員を誘い、酒を酌み交わしながら本音を聴取することも忘れなかった。
福岡銀行の争議は非営業部門に続き、営業部門の本店営業部までがストライキに入るという最悪の事態になった。経営側は市内の中小企業経営者を動員した中小企業者大会や、福銀取引者大会などを通じて取引先を巻き込んだ戦術を展開した。
組合側もビラを配布して対抗するなど、福岡銀行の労使紛争は取引先を巻き込み、次第に社会問題化の様相を呈するようになる。
1953年7月14日には、ついに本店営業部が無期限ストに突入し、非営業部のストも続行され、これ以後、本店全面ストとなり、事態は一層険悪化した。
7月16日午前5時半、いわゆる第一次斡旋案が提示され「一時間以内に諾否回答」を求めたが、中闘はこれを拒否した。なおこの日、銀行側と手を結んだ市内中小企業者大会、福銀取引者大会などが催され、中小企業者の一部は商工会議所とタイアップして市内各所に「福銀スト絶対反対」の看板を立てたり、宣伝カーを使って「中小企業を殺す気か福銀スト」、「水害を忘れたか」、「値上げより先ず利子引下げだ」などのビラをまいたりし、取引者大会も「福銀のストをお止め下さい」のビラを三大新聞に折込み、職場復帰を呼びかけた。
組合側もさらに7万枚(15日)、10万枚(16日)のビラを印刷して、市内の中小企業者に呼びかけた。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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