<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(9)
7月20日の天神町支店の無期限ストおよび県下15支店の時限ストを打った翌日の7月21日、経営側と組合側の双方が地労委の斡旋案を受諾し、2週間にわたる福岡銀行のストライキは終結に向かうことなる。
その裏には日本銀行から経営側に対して「争議終結」の強い指導があったからだと言われている。占領下のインフレと資金不足の困窮経済のなか、当時は金融政策を実質的に掌っていたのは大蔵省ではなく日銀であった。
組合側が1952年11月から要求書の案を練り、翌年の7月21日に地労委の斡旋により、終結するまでの9カ月間におよぶ経営側と組合側とで生じた軋轢は、すぐには解消されるものではなかった。このストを引き金として、その後福岡銀行の業績は悪化の一途を辿ることになった。
組合員大衆の決意は固く、団結の力も変らなかったが、16日の地労委の第1次斡旋案提示以後、幹部の動揺が見られて組合側の主導性が弱まって経営者を立直らせる傾向を生じ、ついに21日、左の斡旋案を両方で受諾して、2週間にわたる銀行ストは妥結するに至った。
(幹旋案-その一)
一、昭和28年4月以降9月までの定例給与および7、8、9月の3カ月について支給すベき賞与前払分については、福岡地方労働委員会の決定に一任する。ただし、7、8、9月の定例給与増加分の配分についてはべースアップに関する要求書の原則を尊重し、給与格差の適正化を旨として双方協議の上決定する。賞与前払分については各新定例給与に比例せしめて配分する。
二、昭和28年10月以降の月収額は前項の合計月収額を下廻らないものとする。
ただし、定例給与については、経済的基盤並に業態等を勘案した適正な均衡を類似規模の銀行との間に保つよう努力すること。
三、退職手当金及び保養休暇規定並に就業規則一部改正に関する要求については従来の交渉経過を尊重して更に双方協議する。
四、団体協約の締結に関しては、すでに進められていた交渉を続行し、双方誠意をもってこれが早急なる解決に努力する。
五、両当事者は互に今次争議に関連し責任の追求をなさず、且今後公正なる労使関係の確立に努力する。
〔附記〕幹旋第一項において福岡地方労働委員会に決定を委任した事項については、本斡旋案が双方において受諾された後直ちに決定し、文書をもって通告する。
昭和28年7月21日
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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