<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(10)
日銀からの強い指導を受け、経営側と組合側の双方が地労委の斡旋案と共に、斡旋案補足事項についても受諾し、福岡銀行の労働争議は一応の終止符を打つことになった。
当時の日銀総裁は一万田尚登(いちまだ ひさと)であった。一万田は大分県野津原村(現大分市)の出身で、東京帝国大学を卒業後日本銀行に入行し、1944年理事に昇進。46年、前任の新木榮吉の公職追放に伴い、日本銀行の第18代総裁に就任。福岡銀行の争議が終結した翌年の54年に退任するまで、在任期間は3,115日と歴代最長を記録した。
一万田自身の強力な政治力を背景に、政策委員会は日本銀行の下に置かれることとなり、議長の座も一万田日銀総裁が兼ねるほどであった。インフレ下の戦後日本経済再建のため、日銀は金融面での絶大な権威を持ち、ローマ教皇庁にたとえられ、そのトップに君臨する一万田は「一万田法王」の異名を持つほどの実力者であった。
総裁退任後の翌年、一万田は第一次鳩山一郎内閣の発足に伴い、民間人閣僚として大蔵大臣に就任し、非国会議員としては最後の大蔵大臣となる。その後大分県選出の国会議員となり、再度大蔵大臣に就任するなど金融界に大きな影響力を残した。
この労働争議終結に一万田が総裁の日銀が果たした役割は大きく、これが契機となり福岡銀行が長年日銀から頭取を迎え入れる一つの要因となった。
福岡銀行従業委員組合
執行委員長 中島勝蔵殿
(斡旋案補足事項)
一、給与の配分について
1、昭和28年度に於ける新制高校卒業新規入行者については男女の初任給を同額とする。
2、ベース増加の範囲内に於いて次の各項の実現に努力する。
イ 新規入行者の給与増額
ロ 同一年齢間の給与の格差縮小
ハ 傭員の給与の増額
二、斡旋案第五項にいう「当事者間の責任を追求しない」という点については
1、組合側は本件に関連して不当労働行為の提訴をなさぬ
2、会社側は本件に関連して組合員を業務妨害を以て訴え或は労働法にいう不利益な取扱いをなさない(転勤、昇給、昇格等を含む)
三、斡旋案第五項の後段にいう「公正な労使関係」という点については将来とも会社は組合介入の事を厳に慎むと共に組合に於いても組合の民主的運営に努めることである。
(注)以上補足事項は口頭による斡旋員の答弁にして当日の議事録に収録され法的対抗条件となるものである。
(斡旋案-その二)
福岡銀行争議に関する幹旋案については両当事者から受諾の旨回答を受けたので、斡旋案附記に基づき左の如く通告する。
一、昭和28年4月以降9月までの定例給与は月額1万7,500円とする。
二、昭和28年7、8、9月について支給すべき賞与前払分の月額は150円とする。
昭和二八年七月二一日
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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