「職場がある中洲の歴史を知り、日頃の接客に活かす」ことを目的としたMLHグループの歴史研修が、5月10日に今年も行なわれた。同グループは中洲で4店舗、熊本、長崎で2店舗ずつの計8店舗のキャバクラを経営。お手頃価格で質の高いサービスをモットーに、多彩なイベントも織り交ぜながら、地元・九州の夜の活性化に貢献している。
今回、行なわれた歴史研修には30名ほどの女の子が参加。3組にわかれて、ボランティアのガイドさんとともに中洲周辺の史跡などをめぐった。2,000軒もの店が営業している中洲では、その"今のすべて"を知ることさえ難しいが、今回はその昔のお話。なかには「中洲歴ウン十年の大先輩がなつかしげに語っていたなあ...」という話もあったが、ほとんどが初耳であった。
「昔、ここは菜の花畑でした」というガイドさん。地名も「中洲」のほかに「菜香洲」というおしゃれな表記もあったという。発音でも地元の博多っ子は「なかず」とにごる。「女を泣かす男は中洲(泣かず)」という言い回しもあったそうだ。小生は、中洲の女の子に泣かされてばかりであるが――。
研修は櫛田神社からスタート。同神社の由来や7月から始まる博多の一大イベント「博多祇園山笠」の紹介、すぐ近くにあるはかた伝統工芸館では博多人形や博多織を見学した。博多川にかかる水車橋を渡り、川端飢人地蔵、そして与謝野鉄幹や北原白秋らが泊まった川丈旅館へ。夜には味わえない、中洲の深い歴史をたどっていく。
今や中洲のメインストリートと言えば中洲大通りであるが、昭和30年代ぐらいまでさかのれば博多川沿いがまちの中心で、高級クラブなどで賑わっていた。また、その頃は映画館が二十数軒あったという。家族連れも珍しくなかっただろう。
MLHグループの女の子たちも感慨深げにガイドさんの話を聞いているようだった。今の中洲で生きる20代の彼女たちからすれば、映画館やデパートはもちろんのこと、中洲が菜の花畑なんて想像もつかないだろう。地元以外のお客さんと接客した際に使えそうだと思ったネタを聞いてみると、「櫛田神社の夫婦銀杏」や「天神の由来」、「上から見ると¥のかたちになっている出会い橋」など、さまざまな反応が返ってきた。小生としてはおさらいとして、お店で酒を飲みながら聞いてみたいものである。
なお、同グループでは自主参加による「NKS48000会」という取り組みで、毎月第2、第4木曜日の夕方に中洲のゴミ拾いを行なっている。「1回30分と短いですが1年で12時間。職場である中洲のまちをきれいにしたい」とは、会長の古賀由和さん。
地元色がうすまりつつあることを寂しく感じる昨今、歴史から中洲を大切にするお店があるのは頼もしい限り。中洲の深い歴史を知れば、酒も味わい深くなるだろう。同伴で歴史めぐりをしながら、「わ~、ものしりですね♪」なんて、言われてみるのも楽しいかも。
長丘 萬月 (ながおか まんげつ)
1977年、福岡県生まれ。雑誌編集業を経て、2009年フリーライターへ転身。体を張った現場取材を通して、男の遊び文化を研究している。
※記事へのご意見はこちら